「軍都」壊滅93 最後の軍隊9 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 ロンサムレディー号とタロア号の任務は江田島の陰に身を隠す戦艦「榛名」を攻撃することだった。

 呉軍港周辺の海には3月19日の空襲で損傷した多くの軍艦が錨を下ろしていた。アメリカ軍が大量の機雷を投下して呉湾を封鎖し、また徳山の海軍燃料廠、大竹の製油所、山口県大島の貯油所を空爆して燃料の補給を絶ったので、日本海軍最後の艦隊は身動きが取れなくなっていたのだ。そこにアメリカ軍は、日本に降伏を求める「ポツダム宣言」を前にして、日本の戦意を完全に挫くための徹底的な空襲を仕掛けた。

 一方、これら軍艦の高角砲(船の高射砲)や対空機銃はまだ生きていた。第二総軍司令官の畑俊六は自軍の防空装備が貧弱なのを嘆くとともに海軍の火砲、弾薬が豊富なことに目を見張っている。

 

 …海軍は尚相当に防空火器を有し、呉軍港の如きは殆んど毎日に近き空襲を受けたるも克く之を撃退し得たる模様なりし。(畑俊六「第二総軍終戦記」1954『広島県史近現代資料編I』)

 

 呉では7月24日から28日にかけて艦載機が大挙来襲し一日中空襲警報のサイレンが鳴り響いた。航空戦艦「伊勢」、重巡「青葉」などが次々と炎に包まれた。

 

 伊勢は高角砲や機銃を猛烈に撃ち上げ、空が見えんほど弾幕を張り、防戦していました。グラマンが一機、火だるまになって落ちるのをはっきり見ました。

 そのうち艦橋が吹っ飛び、流出した油に火がついて、火の海の中に伊勢がいるようでした。(中国新聞呉支社編『改訂版 呉空襲記』中国新聞社1975)

 

 ロンサムレディー号やタロア号など33機のB-24爆撃機が「榛名」を襲ったのは28日午後だった。高度4000mから強力な2000ポンド爆弾(「1トン爆弾」)を次々と投下する。「榛名」も必死だ。12門の高角砲で応戦し、主砲から発射される対空砲弾も威力を発揮した。4機編隊で「榛名」を攻撃したロンサムレディー号のカートライト機長が証言する。

 

 「榛名」は四機すべてに猛烈な対空砲火を浴びせてきた。

 われわれの機に敵の弾が当たったのは、爆弾を投下したすぐ後だった。ジョセフ・ダビンスキーが操縦するタロア号もほとんど同時に被弾し、ひどい損傷を受けてすぐに墜落していった。(トーマス・C・カートライト著 森重昭訳『爆撃機ロンサムレディー号 被爆死したアメリカ兵』日本放送出版協会2004)

 

 大佐古一郎ら広島市民が見たタロア号撃墜は、呉沖海空戦によるものだったのだ。

 呉海軍は陸地にも優秀な高角砲を多数配備していた。それは広島に原爆を投下したB-29も撃墜可能だったとされる。当時呉海軍高角砲部隊の砲術練習生だった小田善三さんの証言がある。

 

 私たちの砲は、すでにそのB29を十五度ないしは二十度くらいの角度で捉えていました。一番撃ちやすいコースを飛んで来ていたのです。砲身はその動きにつれ、ゆっくりと動いていきます。(中略)

 「B29射程内ニ在リ……」と私は胸の裡でひそかに呟きました。(NHK広島放送局原爆取材班『B29エノラ・ゲイ原爆搭載機「射程内ニ在リ」』立風書房1990)

 

 しかし発射命令はついに出なかった。それからすぐに広島の上空では見たこともない閃光が走った。

 呉海軍高角砲部隊の任務はあくまでも呉軍港の防衛だ。広島に向かうB-29を一機撃ち落とすより、「虎の子」の最新式高角砲の存在を隠す方が優先されたのだと、小田さんは言う。