【第5回】瑞鶴――沈まぬ空母、その伝説
日本海軍の正規空母の中で、最も長く生き残った空母として名高い瑞鶴。
その姿は「幸運艦」や「不沈艦」と称され、翔鶴と並ぶ翔鶴型姉妹艦として、太平洋の空を駆け続けました。
◆ 翔鶴の妹として登場
瑞鶴は1941年に翔鶴の1年遅れで竣工。基本設計は同一ですが、細かな改良が加えられたことで運用性がさらに向上。
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搭載機:約80機(最大)
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速力:約34ノット
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高い被弾耐性とダメージコントロール能力
その性能の高さと生存能力の強さから、歴代の空母の中でも最もバランスが取れた実戦型空母といえます。
◆ 瑞鶴の主な戦歴
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真珠湾攻撃(1941年12月)
翔鶴と共に奇襲作戦に参加。主力攻撃隊の発進母艦のひとつ。 -
珊瑚海海戦(1942年5月)
損傷は受けず無事生還。翔鶴の損傷により、ミッドウェー海戦には単独で待機。 -
南太平洋海戦(1942年10月)
米空母「ホーネット」を撃沈。激しい航空戦を生き延びる。 -
マリアナ沖海戦(1944年6月)
史上最大の空母決戦の一翼を担うが、多数の航空機を失う。 -
レイテ沖海戦(1944年10月)
捨て石となる「囮機動部隊」の旗艦として出撃。米艦隊を引きつけることに成功するが、ついに魚雷を受けて沈没。
◆ 「不沈艦」の伝説
戦艦や空母が次々と沈む中、瑞鶴はミッドウェー以降のすべての主要作戦に参加しながら無傷で帰還するという驚異の記録を持っていました。
そのたびに「なぜ瑞鶴だけが沈まないのか」と話題になり、“幸運艦”として特別視される存在に。
だがその最期は、「沈まない空母」が自らを囮にして艦隊を守るという、誇り高い最期でした。
◆ 翔鶴型姉妹の象徴的存在
翔鶴が先に沈んだ後も、瑞鶴は妹艦としての責務を果たし続けました。
その姿は、単なる軍艦ではなく、覚悟と犠牲の象徴として記憶されています。
次回は特別編として、赤城から瑞鶴までの全6隻を総まとめしながら、
**「なぜ日本空母は世界最強と称されたのか」**を振り返ります。
どうぞお楽しみに!