【第2回】蒼龍――俊足の突撃空母、その戦いの軌跡
加賀や赤城とともに日本空母機動部隊の中核を担った「蒼龍(そうりゅう)」。
大きさでは他の空母に及ばないものの、軽快な機動力と実戦での高い柔軟性により、多くの作戦で重要な役割を果たしました。
◆ バランスの取れた設計
蒼龍は1937年に竣工。排水量は加賀よりも小さいながら、全通飛行甲板と二層の格納庫を持ち、最大63機程度の航空機を搭載できました。
スリムな船体と強力なエンジンにより、空母としては非常に高い速力を持っていたのが大きな特徴です。
◆ 蒼龍の主な戦歴
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日中戦争(1937年):中国大陸への航空支援で初陣を飾る。
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真珠湾攻撃(1941年12月):第一航空艦隊の一翼として米軍基地を攻撃。蒼龍所属の艦攻・艦爆隊も大戦果を挙げました。
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インド洋作戦(1942年春):イギリス艦隊を撃破し、制海権を握ることに貢献。
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ミッドウェー海戦(1942年6月):米軍機の急降下爆撃を受け被弾。火災が拡大し、最後は味方駆逐艦により自沈処分。
◆ 軽快ながらも重責を担った空母
蒼龍は設計・装備・運用のバランスに優れ、空母としての完成度は非常に高いものでした。
特に整備性がよく、搭乗員の評価も高かったとされます。
ただし、防御力の面ではやや弱く、ミッドウェーではわずか一発の命中弾で致命的な被害を受けてしまいました。
◆ 蒼龍が遺したもの
蒼龍は、その軽快さゆえに突撃的な運用が多く、常に最前線で戦いました。
そのため損耗も激しく、活躍の期間はわずか数年でしたが、その間に刻んだ戦果と記憶は、日本空母史の中でもひときわ輝きを放っています。
次回は、ミッドウェーで蒼龍とともに戦い、最後の一撃を放った不屈の空母――
【第3回】飛龍――反撃の魂を宿した孤高の空母
をお届けします。どうぞお楽しみに!