空母“赤城”から始まった日本の航空戦力――その栄光と悲劇に迫る!
日本海軍の航空戦力の象徴――それが航空母艦「赤城」でした。元々は巡洋戦艦として設計されていた赤城は、ワシントン海軍軍縮条約の制限により航空母艦へと改装され、1930年代に世界最高水準の空母として君臨しました。
広大な飛行甲板に多くの艦載機を積み込み、南雲機動部隊の中核として真珠湾攻撃をはじめとする数々の作戦に参加した赤城。その存在は、航空戦力が海戦の主役へと変貌していく時代の象徴でもありました。
しかしその栄光は、1942年6月のミッドウェー海戦で突如として幕を下ろします。米軍の奇襲を受け、赤城を含む主力空母4隻が一気に沈没。日本海軍は、空母戦力の主導権を完全に失うこととなりました。
この一戦は、航空機と空母の戦いがいかに戦局を左右するかを世界中に示した瞬間でした。そして同時に、空母という存在が単なる“艦船”ではなく、“空を制するための戦略拠点”であるという認識が深まっていきます。
🔥ポイント!
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「赤城」は世界屈指の空母として航空戦の最前線を担っていた
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真珠湾攻撃、セイロン沖海戦などで活躍した栄光の歴史
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ミッドウェー海戦での悲劇が日本の空母戦略を一変させた
次回は、「日本空母の黄金時代」にフォーカスして、加賀・蒼龍・飛龍・翔鶴・瑞鶴といった名空母たちの活躍を熱く語っていきます!
お楽しみに!