白虎隊悲劇の跡地です
江戸末期~ペリー来航をきっかけに激動の時代に入ります。
開国・倒幕の後、西軍(薩長軍)は会津に攻め入りました。
白虎隊は幕末期、16~17才の会津藩士子弟で編成された軍組織です。
西軍との戦いの中、20名が飯盛山にたどり着きました。
ここで炎に包まれた城下を目にし、城が陥落したと思った少年たち。
「主君に殉じよう」と自決したそうです。
会津の藩校『日新館』で学んだ少年たち(白虎隊)の殉死は
後世に、時代の価値観と教育のあり方を問いかけています。