現在放送しているNHK朝ドラ、「べっぴんさん」
子供服メーカー「ファミリア」の創業者をモチーフにしているそうです。
起業の地は神戸 第二次世界大戦と空襲によって、大きな打撃を受けましたが、
ここを起点に、ヒロイン達は会社を人生を築いていきます
この時代の経済的背景を今一度思い起こし、照らし合わせてみたいと思います
1945年に終戦
爆撃で焼けた都市では、人通りの多いところで、闇市が自然発生していきました。
主要物資は配給制、物資は統制、庶民も身の回りの物を闇市場で売ったりしました。
配給制がなくなると、都市の住民たちは食べ物が不足、農村へ行って衣類などと
作物を物々交換。 身の回りの衣類・家財などを少しずつ売って食いつないでいく
タケノコ生活を送ります。
1946年、日本政府(吉田茂内閣)は限られた資材、賃金、 労働力の配分を計画的
にして経済を促進させようと、政策を打ち出します。
石炭と鉄鋼の増産へ重点的注ぎ込む 「傾斜生産方式」を採用しました。
両部門の生産復興を、さらに化学肥料やコメの増産など他の産業に波及するよう、
政府は補助金などで支援していきます。
次いで片山内閣もこの政策を引き継ぎ、経済に復興の見通しが立ちましたが、
復興金融金庫の過剰な融資も、日銀引受の復興金融債券(復金債)でまかなわれた
ためインフレに。 モノ不足という背景もあって、物価は4年間で240倍になるという
激しいインフレーションにさらされました
1948年、日本経済を安定させるために、GHQのマッカーサーは吉田内閣に対して
「9原則 」 の実施を要求。
・予算の均衡 ・徴税強化 ・資金貸出の制限 ・賃金安定 ・物価統制
・貿易運営の改善と外国為替管理の強化 ・輸出増大の為の物資割当を改善
・重要国産品の増産 ・食糧集荷計画の改善〉
1949年、GHQの経済顧問としてデトロイト銀行の頭取であったジョゼフ・ドッジが来日、
財政金融の引き締め案を立案しました
・ 健全財政の確立(均衡予算)
・ 復興金融金庫の廃止、日銀借入金の返済など、債務返済優先
・ 1ドル=360円の単一為替レートにし、貿易の拡大を図る
・ 戦時統制の緩和と自由競争の促進
この案を基にした金融引き締め策 (ドッジ・ラインと呼ばれる)により、悪性インフレは
収束しますが、 今度は、国内需要や輸出が停滞し、デフレが進行
失業や倒産が相次ぎ、ドッジ不況といわれる安定恐慌に陥ってしまいました。
(東証の平均株価は史上最安値の85.25円を記録)
深刻な事態から脱却するきっかけは、1950~53年の朝鮮戦争による特需でした。
1955年~日本経済は高度成長期に入っていきます。
奇跡の復興とされる高度成長期には、ベビー用品や子供服の需要もどんどん
増えていったことでしょう
ドラマの続きもドキドキ、ワクワク