一昨日、直撃LIVE グッディ!テレビ で、
『GW渋谷の 密着ドキュメント』 を放送していました。

若者たちを取材(質問)してみると・・・「SNSで知り合った人と、実際に会う」 等々etc・・・
待ち合わせ&会合やデートの場にもなっている日本一、若者の集まるところ

さらに最近では、海外から多くの観光客が訪れる、魅力あふれる街亜友未

私が学生だった30年ほど前も、やはり最も人気がありました。
大学のサークル勧誘や、また文化祭等で知り合った男子学生たちと、
「飲み会をしよう!」  となるのですが、100%、会場は渋谷
亜友未

 

 

 

 

 


渋谷に関しては私が現在、制作している本にもエピソードを書きました。
本のテーマは 『学び』 で、高校同窓生たちとの共著(2作目)です。

女子大時代、渋谷で東大生たちと飲み会をしましたが、お酒の席なのに学びになる
びっくり
実感したので、そのときのやり取りについて紹介しています。



共著「学びの力 浦和一女OG」 一部、抜粋羽ペン東大生との飲み会にて
乾杯

 乾杯をして場が和んでくると、男子学生たちは、
「買い物は、どこでするの?」
 女子にとっては興味津々、そんな話題を振ってくる。
「渋谷や原宿をブラブラしながら、お買い得品を見つけます」
 この辺りで散策、買い物、飲食することは、若者の定番です。

「東大出身者たちが、それぞれ仕掛けた街なんですよ」

「えっ? オシャレや遊びの街なのに?」
 私が首をかしげたところで、
〝渋谷109、パルコ、ラフォーレ原宿″
・・・人気のファッション施設を挙げ、
「今日の渋谷や原宿は、東大OBたちが創ったんだ」
というエピソードへと、耳を向けさせる。

 街を創るとは、どういうことなのだろう?

 まずは、五島慶太氏。渋谷をショッピングの街としてスタートさせた立役者。
 東急(東京急行電鉄)の実質的創業者であり、渋谷駅にターミナルデパートを開業
させた。  その後、東京大空襲によって、渋谷駅とデパートは全焼してしまう。
 焼け跡となった駅の周辺に、闇市や露天商が出現。 街は益々混乱し、東京都が
整理を始めた。
 1950年代からは、東急グループが中心となって新規開発を推進する。54年に、
東急会館(現・東急百貨店東横店西館)。 57年には渋谷地下街を完成させ、駅の
西口で物品販売をしていた露天商たちを、店子とした。
 さらに、東急文化会館(現・渋谷ヒカリエ)、渋谷東急ビル(現・渋谷東急プラザ)、
東急百貨店本店も創設。渋谷の街をどんどん発展させていく。
 
 1968年になると、堤清二氏の率いるセゾングループ(西武流通グループ)が渋谷
に進出してきた。
西武百貨店に次いで73年にはパルコを開店。〝消費を文化に″という感性の経営
が当たり、渋谷は若者の流行発信地として激変する。

 若者をターゲットにした手法に追随し、森ビル(森稔社長)は78年『ラフォーレ原宿』、
東急の五島昇氏(慶太の長男)も、79年『渋谷109』を創設した――


 お酒を飲みながらも、後輩たちのまなざしには
「東急の五島親子、セゾンの堤清二氏、森ビルの森稔氏、みんな東大出身です」
 先輩への畏敬と憧憬が映る。
 流行を追う以上に、どうして?どうやって?という事業の手腕を追いかける。

 型通りの学習では、追い付かない。まなざしを凝らす学生は、
『ブームを仕掛ける、業を起こす』  という将来像を思い描いているらしい。  

 こうした感覚が育ったのは、子供の頃から、
「この鉄道も、デパートも、東大出身者が創ったのよ」
 親に聞かされていた。ゆえに大学へのイメージや憧れも強まったと言う。
 きちんと勉強をすれば大立者になれる、と期待が持てたらしい。



ハート 『学びの力』は、2017年春に発行予定です。