今日は、弁護士でありながら自殺した、赤坂俊哉さんについて。

私は、恋人や元カレを小説やブログに登場させていますが、その理由の一つとして・・・

小説を書きたいと思い始めた頃、赤坂さんに
「和泉式部みたいに、自らの恋愛ゴトを書けばいいよ。 色恋は、芸術の最高のテーマだから」
と、アドバイスいただいたから。
 

・・・私の執筆をいつもいつも気にかけ励ましてくれたのが、赤坂さんでした。

出会いは、私が大学生のとき。  文化祭で最初に “東大生・T君” と知り合い、

交際関係に。

それから半年後くらいに、T君がビジネス勉強会で知り合った人たちと集まることになり、

私も顔を出しました。そこに赤坂さんも参加していて、連絡先を交換しました。

T君は、私より3才年上で、外資系の証券会社に行きました。

就職してから、T君とは疎遠になってしまいましたが、 

その後も、赤坂さんは連絡をくださり、お会いするようになりました。


赤坂さんは7才年上でしたが、話や趣味がよく合いました。 

ご家族にタレントさんがいらっしゃって、マスコミ関係の知人や情報もお持ちでした。


20年以上も赤坂さんを観てきた訳ですが、彼の人生を狂わせたのは、

もちろん、日本振興銀行です。

創業からしばらくは、代表の木村剛氏を信頼し、仕事に打ち込んでいました。

木村剛氏は・・・

東大卒業後、85年(プラザ合意の年)に日本銀行へ入行、

企画局や国際局を歩んだエリートです。
金融監督庁の金融検査マニュアル検討会委員、通産省アジア金融通商研究会委員

などを経て、1998年独立。 金融・企業財務に関するコンサルティング会社を創業します。

小泉政権では、経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏から、
“金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム” のメンバー5人のうちの1人に抜擢されました。
金融再生プログラムの作成、 りそな銀行国有化や不良債権処理などで、

その実績と顔は、広く知られるところとなりました。

この後、木村剛氏は中小企業への融資を主要業務とする日本振興銀行を設立します。
赤坂俊哉さんは、顧問弁護士兼、執行役員を担い、
 「キャリア、人生を飛躍させるために、木村氏は最高のビジネスパートナーだ。 

一世一代のチャンスになる」 

という期待に満ちていました。

しかし経営は上手くいかず、悩みが増えていくご様子。 とくに深刻であったのは・・・
 ・ BBネットとの提携により抱えた、業務の違法性。
 ・ サラ金・マチ金の債権買い取りビジネスに伴う、先行き不安。

こうした問題は益々悪化していき、2010年8月、銀行法違反(検査忌避)容疑で

木村剛氏は東京地方検察庁により起訴されるのです。・・・続

注意続きの記事は、次回。

 

 

 

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