「マスター生命体マップは、全身の模式図を主要コンポーネントつき――頭、体幹、四肢――で、落ち着いた状態で記述する。身体の動きは、このマスターマップとの比較でマッピングされる。内知覚マップとはちがって、マスター生命体マップは発達の途中で劇的に変わる。というのもこのマップは骨格筋システムとその動きを描くからだ。必然的に、こうしたマップは身体の大きさが増大したり、動きの幅や質が変わったりすれば、それに応じて変わる。赤ん坊、思春期の若者、成人の各段階でそれが同じなどということは考えられない。もちろん、何らかの一時的な安定性にはやがて到達するのだが、結果としてマスター生命体マップは、原自己を構成するのに必要となる単一性の源としては理想的とは言えない。
 マスター内知覚システムは、マスター生命体模式図で作られた全般的な枠組みの中におさまらなければならない。ざっとした素描が、マスター生命体枠組みの外周部の中に、マスター内知覚システムを描き出す。片方がもう片方におさまるからといって、実際にマップが移転されるわけではないが、両方のマップが動員できるような協調は可能になる。たとえば、身体のある特定内部領域のマッピングは、マスター生命体枠組みの中で、全体的な解剖学的図式に最もあてはまる領域の部分に信号が送られる。人が吐き気を感じるとき、それが身体のある部分との関連で体験される――たとえば胃、などだ。漠然としてはいても、内知覚マップは全体としての生命体マップにおさまるように作られる。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、pp.233-234、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))

(索引:マスター生命体マップ)



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