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新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
1月3日、仕事始めは尾上別荘様の庭園管理から。
朝一番の庭は、冷えた空気と低い光で、少し幻想的でした。
落ち葉掃除と寒肥を行い、
関守石を据えて、静かな境界も整えています。
#三重県 #剪定屋空 #日本庭園 #関守石 #寒肥
来年の春に使っていただく人工巣洞を、せっせと作っています。
丸太の表情は一本ずつ違い、樹皮の割れや節がそのまま巣の景色になります。入口の径や深さを揃え、雨が入りにくいよう蓋の収まりも確認。庭や林の小さな住まいが増えるほど、虫と鳥のバランスも整っていくように感じます。
伐採材を次の命につなぐ制作は、木鳥商店の大切な仕事のひとつです。
竹林の手入れをしていると、ときどき思いがけないかたちの竹に出会います。
先日は、根元からぴたりとくっついて伸びた二本の竹を見つけました。
節の表情やねじれを生かした小さな花器に仕立ててみました。
自然の中には宝物がいっぱい。
まっすぐでないこと、傷があること、そのどれもが景色の一部になっていくように感じられます。
竹の花器の歴史をたどると、奈良時代の寺院で行われた供花にまで遡ると言われています。
当初は、ごく素朴な竹筒に花を挿しただけの道具でしたが、やがて書院造の室内を飾る花入として発展し、安土桃山時代には茶の湯の中で大きな意味を持つようになりました。
千利休は、竹の節や割れ、経年変化をそのまま受け入れ、わび・さびの美として高く評価しました。
完全に整えられたものではなく、どこか不均整で、時間の跡が刻まれたものにこそ、静かな豊かさが宿ると考えたのだと思います。
竹という素材には、もう一つ大切な側面があります。
中が空洞であることから、古くはよろずものが通う筒として、神仏と人とをつなぐ媒介のように扱われてきました。
今回の小さな竹花器は、竹林の手入れから生まれたささやかな副産物です。
まっすぐでない二本の竹が寄り添う姿は、人の暮らしや人生のかたちにもどこか似ているように思いました。
完璧ではないものを、そのまま受け入れて生かしていくこと。
それが日本のわび・さびの感性であり、竹林の手入れを通じて教えられていることの一つかもしれません。
読んでくださる方にも、身近な庭や散歩道で、少し傷のある枝や、曲がった竹、使われていない木材などを一つ見つけてみていただけたらうれしく思います。
それをどう生かすかを考える時間そのものが、自然との距離を近づけてくれるように感じます。
風と光道
朝の柔らかい光と、足元に少しずつ増えていく落ち葉の気配を感じながら、静かにお手入れを始めました。
ここでは、枝をただ短くそろえるのではなく、樹木がもともと持っているリズムを尊びながら整えていきます。
風が抜け、光がすっと通り抜ける「道」をつくるように、込み合った枝を少しだけ減らす。
それだけで木漏れ日がいきいきと広がり、樹木もどこかほっとしたように見えてきます。
揺れを許す枝ぶりは、木にとっても、人にとっても大切なゆらぎなのだそうです。
強い日差しも風も、少しずつ受けとめながら、この場所に合ったかたちへと変わっていくのでしょう。
この先もここで、小さな命が息づき、季節ごとの表情を見せてくれるように。
そんな庭の始まりを思い描きながら、今日も三重県のお庭へ向かっています。





























