木彫り熊通信・徳川さんのこと。 | こけしを愛する日本茶インストラクター






  徳川さん。




 

  
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  徳川義親さん。








  明治維新後、尾張徳川家が

  家臣をつれて八雲へやってくるわけですが。





  のちに「徳川農場」と呼ばれる

  開墾地で農民達たちが

  木彫り熊を作成しはじめたんです。


  
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  ※こちらは、加藤貞夫さんの作品。





  そのきっかけをつくったのが

  徳川さん、というわけです。










  何故、八雲町のお菓子やさんに

  徳川マーク(軽い表現でごめんなさい・・)が

  ついたお菓子があるのか?




  なるほど、でした。



  
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  義親さんは、それまでも

  何度となく八雲を訪れ

  熊狩りをしていたそうです。



  その熊狩りを行なう冬に

  そこに暮らす農民達の生活ぶりを

  見て、知っていたのだそうです。








  そしてある日、訪問先のスイスで

  お土産品の木彫り熊を購入し、

  八雲の農民達にも推奨しようと考えた・・・






  八雲の農民達の生活の向上を

  願ってのことでした。









  ひとつ、このことで

  かっこいいお話を聞きました。




  義親さんは、


  八雲の農民達の冬場の

  収入源となるよう

  みなに木彫り熊を彫るように

  伝えるわけですが、



  スイスで購入してきた木彫り熊が

  見本となるわけです。






  「とにかく作ってみろ、

  できたものは

  わたしが買い上げるから。」





  と、農民達に木彫り熊製作を

  すすめたのだそうです。






  ・・かっこいいです。

  町民に愛されるわけですね。







  これがいつかの

  木彫り熊ブームになるとは

  


  義親さん、予想していたのかな?

  いいお話です。










  その後、

  第一回農村美術工芸品評会というものが開催され、

  これに木彫り熊第一号が出品された

  というわけです。





  これからの八雲での木彫り熊発展への

  お話はまた今度。









  







  
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  ここ、すこしうす暗いので

  すこしこわく見えるかもしれませんが、



  以前、ここで熊を

  飼っていたんだそうです。



  小熊とか、かわいかったんでしょうね。









  わたしもいつか

  熊を彫る事が夢です。