づーみんのふつふつと。 -18ページ目

づーみんのふつふつと。

常に頭の中がふつふつとしています。
そんなふつふつを綴ることにしました。



たまに、以前に書いた自分のブログを読み返すことがあるのですが、何でしょう、、、不思議なんですよね。ほとんど記憶に残っていないという。「こんなこと書いていたんだぁ」と思ってしまうのです。

そもそも考えがコロコロ変わりやすいせいもあると思うのですが・・・まあ本人の中では、軸の部分は変わっていないつもりなんですけれどね。

それにしても、自分の書いたものではないのでは?というレベルですから、なんてことなのでしょう・・・。

で、その中で誤字を見つけてしまう訳なのですが、モノグサな私ときたら修正するのも面倒クサイという。書くときは結構時間もかけて慎重に書いているつもりなのですよ、これでも。それでも、誤字脱字があるのですよ。

元来、集中力が持続しないタイプなんですよね。ん?チガウなぁ。しいて言えば、私が集中するのにはこの社会は慌し過ぎるのです。だから、社会不適合者なんですよね。他人のせいにする、というよりも、本当に社会のスピードについていかれないのです。独特の時間が流れているとでも言いましょうか。

なんだか、言い訳じみていてお聞き、、、お読み苦しくて申し訳ないですが、これも長い時間をかけて自己分析しているわけで、多分事実なのです。(哲学的にいいますと、事実なんて存在そものも定義が曖昧なのですけれどね。)

いろいろなことが自分の時間でできるようにと、日頃から四苦八苦しているのですがなかなかうまくはいかないものです。

そんな訳で、ブログの更新もマチマチですし、後に自分で読んでも内容を全く覚えていないという始末なのです。

そして何にたどり着いたかと言うと【どうして自分は何ひとつとして極められないか】ということなのです。

興味の対象も沢山あるし、好奇心だって結構あるのだけれどそれ以上に諦めが良すぎるという。物欲にしても無いわけでもないのですが、結果『無くてもいいわ』と思えてしまうんですね。

好きな映画、音楽、小説、美術展、アーティスト、芸能、スポーツ、勉強、知識等々、、、自分が好きだという事実だけで満足してしまい、深く極めなくても良い訳で、まあ、タイミングさえ合えば充分満喫したいけれど、『何が何でも体験したい』というところまでたどり着かないのです。

つくづくですよ『自分が大好きなんだな』ということ。

すべての経験は、その時何が大切か考えて結局は自分がそれで納得できているのか、いないのかということを重視しているのでしょう、という。もっと言うと【どれだけ努力してもこれ以上ない満足】にはなかなかたどり着かないということを知っているのでしょうね。

『ある程度で満足してしまおう』という気持ちを持っていると、たいていの不満は回避できるからなのかもしれません。

私は子どもの頃から、不幸ではなかったと思ってはいますが『夢』だとか『希望』を持ちにくい、諦めることを知っていた、、、もしくは、教えられてきたような気がします。

自分の世界は『ここまで』と、その中で目一杯楽しむ方法を考えるように育てられたのかな、と。

ただ、本当にやりたいことがあったなら、諦めなければ無理ではないと考えられるし、無理だと思った瞬間に諦められるというか、諦められることなら、本当に望んでいたことではなかったと思えるとでも言いましょうか。

自分のことは好きだけれど、自分を誇大評価したり自分を守るために他を巻き込んだりしない方法を早い段階で取得していたのかもしれません。

だから、どんなに生きにくかったとしてもそれはまだ『望むところに達していないだけ』というふうに考えられるとでも言いましょうか。

これがきっと私がどんなにツラいと思った時でも、立ち直ってこられた秘訣なのですね。

結論、楽しいことなんて探そうと思えばいくらでも転がっているもんだし、ツラいこと回避しようと思えば回避の仕方だって沢山ある、、、これを知っているだけでかなり気楽に生きていけるもんだな~。

いやいや、そこは何か極めてみろよ、、、と言ってあげたいところではありますね目

※トップ画像は本日都内にて(お堀に白鳥がいましたよ!!