こんばんは。こーすけです。
今日は引き続き『7つの習慣』についてアウトプットしていこうと思います。
テーマは、第二部の第一の習慣「主体的である」についてまとめていきます。個人的に7つの習慣を読んでいて、最も心に突き刺さる内容が書かれている習慣であり、自分自身の軸を見直そうと強く思えるきっかけを与えてくれました。
今日の話題は
1. 自分に影響を与えるのは自分であること
2. 主体的な人と反応的な人
3. 関心の輪/影響の輪
です。
1.自分に影響を与えるのは自分であること
7つの習慣には『何が起ころうと、自分に与える影響は自分自身で選択できる』という表現がされていました。
生活していくなかで、様々な刺激ってありますよね。我々は、その刺激に対して反応を示します。自分がどんな環境に置かれたとしても、反応として受け入れたのは自分自身であり、そこに選択の自由があるということです。
例えば、誰かに傷つくような言葉(刺激)を言われ、嫌な気持ち(反応)となったとします。しかし、その言葉を受け入れたのは自分自身であり、その言われた言葉受け入れると決めたのも自分です。簡単な例ですが、これらのことは、人々は苦難の中でも生きる意味を見出すことができるということを示しているのです。
そして、選択の自由の中には人間しかない自覚・想像・良心・意志といった4つの能力があり、選択の自由に働きかけることができます。これらの能力を使うことで、開発していくことができれば、自分自身など人間にあるの可能性を引き上げることができます。
その最大の可能性が反応と刺激の間にあるということです。
2.主体的な人と反応的な人
主体性の定義として、人生の責任を引き受けることを意味します。
簡単に言うと、自分の行動に責任を持ち、周りや条件のせいにしないということです。
得られる結果も一時的な感情の結果でなく、価値観に基づいた自分自身の選択の結果であると知っています。
一方で社会環境に左右され、人にちやほやされると気分がよく、そうでなければ殻を作る人は反応的な人です。周囲の取り巻く環境にも影響されやすいです。また物理的な要因も受けやすく、天気が良ければ機嫌が良いなどといった特徴が挙げられます。
主体的な人がまったく物理的、社会的な影響を受けず良いということではなく、そのような刺激を受けた際に価値観に基づいた選択をすることができる点が反応的な人との差となります。
本書で紹介されている言葉を借りると「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない」ということです。自分が傷ついていると思うならば、自分が傷つくことを認めた証となるわけです。
まとめると、私たちは自分自身の身に起こったことで傷つくのではなく、その出来事の自分に対する反応によって傷つくということです。
もちろん、肉体的・物理的に傷つくことはありますが、それでも自分自身の人格やアイデンティティまで傷つけることは許してはいけません。つらい体験によって人格を鍛え、内面を強くすることで将来厳しい状況に直面しても、しっかり対応できる自由を得られるということです。
3.関心の輪/影響の輪
みなさん誰にでも関心のある出来事はあると思います。家族のことや健康のこと、日々の生活のことなど思いつくことは様々だと思います。それらを関心の輪と表現します。
その中で、自分でコントロールできるもののみを囲ったものが影響の輪となります。
主体的な人は影響の輪を広げる方に注力をするのに対し、反応的な人は関心の輪に労力をかけるので影響の輪は小さくなっていってしまいます。
自分の場合、関心の輪に注力していることが多いことに気づくことができました。関心の輪に注力していると判断するには「持つ(have)」と「ある(be)」に意識して考えてみるとわかります。僕は、「もっと○○がもっていたら…」という考えをすることが多かったんですよね。「もっと素直になれていたら…」なんて考えた時もありました。つまり「have(持つ)」を意識することが多かったんです。
しかし、影響の輪に傾いている人は「ある(be)」という所有概念であふれており、例えば「私はもっと忍耐強くある」などといった感じで「ある(be)」であふれています。影響の輪に注力することは人格を磨くことにつながります。
第一の習慣を読んで、自分は率直に“気づき”が多かったです。刺激と反応の間に選択の自由があることや、自分自身がどれほど関心の輪に注力しながら生活をしていたのかと日々の生活に落とし込んで考えてみると、疲れる生活をしていたなと率直に思いました。そして本書を通し、さらに自分自身に落とし込んで影響の輪に注力した生活を送ることは必要条件だと感じました。
本日はここまで。