vtuberが流行り出したのは3〜4年ほど前。
例えば男が女になったつもりで日記を書くといった行為も可能である。
すごく持て囃されてるなと当時私は考えていたのじゃが、自分にとってはYouTubeといった動画サイトよりも何故か二次創作の漫画が読めるサイトで見かけるイメージじゃった。
ASMRはわかるけども、スパチャを投げながら動画サイトで長時間romする行為が如何なる悦びを生むのであろうか。当時はわからなかったのである。
ところでポケモンユナイトに参入してVGC界隈を後にした私は"他のゲームの界隈には当然ある/いる"インフラ設備と初めて遭遇した時の話、
すなわち女、金、人口、vtuber
のうちvtuber以外については以前当ブログで言及した。
vtuberを動画サイトで見たことがなく同人誌やイラストでしか知識がなかった私がポケモンユナイトを機にvtuberに触れた感想を解説しよう。
まず、一にガワというのは便利なモノである。特に中身が女である場合においては。
ガワがあると標準化された推し方のフォーマットが適用されトラブルが緩和され、vtuberを好む特定層にフォーカスされやすいメリットがある。
ゲーム系にいくにしろ、タイトル以外で集まる人がいるにこしたことはない。
しかしvtuber活動にはメリットだけではなく重大な危険性もはらんでいると感じた。
それは「"自己"の揺らぎによる精神性への悪影響」だ。
ガワと人格を持ち毎日のように活動していると自己の中に別の自己を含有することになるであろう。
別人格として喋る時間が自分として喋る時間を上回った時、アイデンティティの合一性にひずみが生じ、人間が狂うための一歩になりかねない。
別の見た目、人格、聴覚器官を持った偶像がギャラリーによって外部から自分が意図せずとも肉付けされた結果、舞台装置において演ずるための毛皮を超えた存在に自己の中でなっていく。自分がきめたことではないことがギャラリーによってもたらされることが多くなったり、自分とギャラリーの熱量があればある程に。
そうして3Dモデルが用意できる頃にはインターネット・現実もしくは自・他の境界線が3Dになり配信者は壊れてしまうかもしれない。