世の中には色んな仕事があると関心することがある。
s●xを売り物にするカップルpornhuberなるものが世の中には存在するらしい。
まず、発音しずらくないか?
自分の頭の中では長崎の某ライブ配信者などで時代が止まっていたので2人固定セットは斬新さを感じた。
ただ、自分は某グラフィティ?(原本が見れない)で少し前に取り上げられていた裸の美大生カップルの方が許せない。
いい身体をしていたからだ。そちらの男はがりがり。
性の悦びを知りやがって…ガキが・・・舐めてると潰すぞ・・・
自分の性の悦びを外にopenすることについて、いくらなんでも…みたいな感覚を持つ人は多いと思う。
でも、最強の手札が彼らにはある。
これは「芸術」です。と言えば良い。
芸術と担保することで…例えば渋谷のど真ん中でコタツを囲んだとしても少し変わった自分を演出したい人達はその行為について意味を見いだそうとするであろう。
そういう人達が好みそうな衣装、舞台装置を整備すれば効果は尚更である。
つまり、芸術ですと言い張れば無敵の人になれる。
固定カップルという斬新な性のインフルエンサーとして行き詰まったとしても最近は奇抜な人ばかりを座らせる場もあることであるし、文化人への道もある。
そして、人は冠婚葬祭性について何らか意味を見出しがちであるが実は意味なんて無い。
そして、人は意味が無くてもお金を払ってs●xショーを見物する。
決闘ショーのような今の倫理観では到底できない息抜きの娯楽が今の世の中には不足しているから、息抜きならぬ抜き抜きに対して人々の好奇心は止まらない。
自分としては「絶対に外部に漏れることがない」という精神状態で行われているs●xのほうがお金を払う価値があると思う。
演技も無く、設定もなく、ギャラリーも、撮影クルーも無い。
これは他のことでも言えることで、作成されたコントよりも実際のやりとりを見ているほうがコントとしては良いのでは無いかと。
しかし、素●モノだとか覗きだとかは違う。前者は論外だが後者の場合覗こうとしている時点で偶然では無くなるからだ。
偶然目に入る意図しないできごとが大切なのである。
如何に偶然の産物に近いモノを意図して量産できるかが芸術家としての力量なのだ。
以上のことからpornhuberと私が言いたいことには一切関係性が無いので並べる意味も無かった。