本は読みません。
今日は辻潤の項を読みました。
この手の方々というのは大体学や社会的地位があった上で放蕩したりだとか、破滅的生活に入るということが多いように見受けられます。
結局私は頭もお金も感覚も欠如しており、なれませんでしたが、若い頃は私も高等遊民になりたいなと思っていたものです。
辻は結局破滅的な最後だったわけですが、割と高齢まで生きているし、情愛もあったわけですからそんなに悪い人生だとは思いません。
逆に松本清張のようにになりきれなかった在野の青年達よりは良かったと言えるのではないかと思いました。
ふと時代劇を見たりしても、スポットライトが当たらない大多数に対して目線が向かってしまいます。
昭和、平成に於いても良い生活のために大多数の人々は目を向けざるを得ないでしょう。
なので私はそれ以外のことにも目を向けることができる人はマルチタスクができるcpuをお持ちなのか、余裕があるかなのかと考察をしますが、中には破滅的な思考しかできずに理性で無理矢理人間生活を送っている方々もいつの時代にもいらっしゃるでしょうね。
しかし、例え死してもそこから解放される保証はないわけでありまして、どうすれば常に横にあるモヤのようなものは晴れるのでしょうか。
その手段を考えているうちは平穏というものです。