ヤ〇ザやヤ〇金系の映画を死ぬほど見漁っている。


 例えば、ウ〇ジマくんや闇金ドッ〇ス、フ〇ブル、新宿パ〇チ、新宿ス〇ン、...


 挙げたらキリがないくらいだが、このジャンルをふと見ると「現実世界では有り得ないような底」を垣間見ることが出来る。


 「ホストにハマって借金400万で風俗」まではよくある話だけど、そこから「シ〇ブ中になって地獄に両肩までどっぷりハマって廃人になったあとは即処分」とか「ライブアイドルにハマって特典を得るために母親に生命保険をかけたあとに踏切で偶然を装った事故死をさせる」とか。


 もうなんかうんざりするというか、やりきれなさを存分に感じてしまうのだが、これはきっとわたしのいまの心境もある程度反映しているのであろうと、なんとなく思う。最悪すぎる。だからより鬱になるというのに。


 でもこういう心境と向き合えるのはこういうバカ鬱なときであると思う。人間は余裕があるときはそんな目線には立てるわけないのだ。



 あるアーティストと飲んでいるときに話した。


「わたしの歌詞って全然ポジティブじゃないんですよ。だってプラスなことを伝えるのって難しくてしかもこうやった歌にして伝えることってなんか嘘っぽくないですか?」


 あ、この子は全くわたしと似ている思考だ、と少し嬉しくなった。


 あの子が嫌い、って言われたときそれを疑うことって確率論からしても少ないように思える。何故ならネガティブを言葉にするにはそれ相応の覚悟や気持ちがないと出来なくて、だからこそ言葉になるころにはそれはもう疑いようのない真実であると、私は思う。


 ポジティブな言葉もきっと真実ではあると思う。けれど、昨今では社交辞令的に使われてしまったり、消費のされ方がネガティブな感情や言葉よりもかなり雑な気がする。



 久しぶりに大自然を目の前にデトックスされた。


 なにより空気が美味しい。新鮮すぎて鼻毛を全部リストラした。それに比べて、東京はゴミ。おしまい。


 夕方にはBBQからお酒、夜はチンチロなど。


 将来もう別荘を買うか田舎に移住したい。みんなで農業やろう。人はジジイやババアになると農業がしたくなるらしい。


 夜はもう気づいたらパンツ履いてなかった。最悪だ。


 いや、なんかテーブルのお酒をこぼしてしまい、拭くのがめんどくさすぎてそのまま散らかったお酒をそのまま吸ってたらそれが有り得ん濃くて脳みそが縮んだのを覚えている。


 その後は当たり前におちん〇んで風切って宿を徘徊していた。最悪すぎる。丁寧にお写真まで残ってる、おちん〇ちん丸出しの。


 友達ーずのメンバーは本当に大好きだし優しいし全員アホだしとにかく最高。ジジイになっても旅行しよう。積極的におちん〇んも出していこうね。



 みこちゃんが好き。


 何が好きって言われると、全て、としか言えないところに言語化の弱さと天邪鬼を感じる。


 顔だよ。


 とはいえ天邪鬼な分、そんなことで納得しない私なので考えてみると、思考(≒中身)なんだと思う。

 

 (ある程度の)自己犠牲は美徳。

 好意は呪いと同値。


 こういうところが当てはまる。(みこちゃんの自己犠牲はわたしのとはちょっと異なる気がするけど。)


 わたしもそんな感じ。自分より他人。自分は死んでもいいくらいに、貴方を重んじたい。


 でもいまや TikTok が多くのSNSメディア若者の親に成り代わっている時代。


 「人より目立ったもん勝ち」「フォロワーが何万人いて~ライブの同接が~」のような世界で、そういう逆行する思考で生きてるなんてよっぽどひねくれてると思う。わたしも。


 それと人に好意を向けるということ。


 みこちゃんが じゅじゅ に入る前から


「それは呪いだね。」ってよく話してた。


 でも、呪うからこそ「活力を与えること」に繋がったり、「契約のような束縛」が出来るんだと思った。


 みこちゃんもきっと同じ。


 死ぬまで呪いあおうね。約束。



 sidenerdsってバンド、よくインスタに載せますけど、あんなに生理みたいなバンドないと思う。


 流石に物販でナプキンくらい販売して欲しい、モラル違反すぎる。


 けれど、それほどに強烈な女性の性を音楽に昇華出来ているのは天才。だから好き。


 tricot が流行った年を思い出すような、マスロックのかたち。実は結構すきで、わたしがバンドやるならああいうバンド組みたいね、ってずっと思ってる節がある。


 もうすぐ売れちゃう。早く見に行かなきゃ。