ちなみにタイトルは誤植じゃないよ。


読めるようになったら立派な大人。


...いや、音ゲーマー諸君なら読めるよなぁ?


つまり、ね。


昨日徹夜の勢いに任せて書いた"激クサぽえむ"をこの世から ""成仏"" させような試みなわけ。


今回はそういうブログなんだよ。


以下、刮目しろ。



彼方に落ちた み空の歌が

2宇宙速度を超えて

あの街に 響き渡る


帰路に瞬く 彗星の軌道が

小夜(さよ)を僅かにかすめる頃に

君を迎えに行くよ


...

...


メモにはこうやって残ってたけど、書いてるとき絶対 PK shampoo の 星 を聴いてただろ。


ほぼ丸パクリじゃねぇか。


https://music.apple.com/jp/album/%E6%98%9F/1519944704?i=1519944708


これ、ちなみに誰宛の詩だと思う?(ニチャァ


リプで予想してくれよな!!


それと、この曲はめっちゃいいからオススメだよ。


早見玲花さんも好きって言ってたから間違いない。


彼女はインディーロックも本当によく聴いてるのがわかるよね、マジで。


..,


で、何のブログだっけ?


どうもネカマです。


気を取り直して(再起不能)書いていくんだけども、今回はかなりちくちくになる気がする...


(だからと言って)何を言っていいわけではないが...


つまり、今回はそんなネカマの主観を見てほしいだけです、はい。


まあ、今どきデジタルタトゥーを "Ctrl+Z" でなかったことに出来るほど薄くはないからネ。


では、いってみよう。


 


🦈...ではなく、"癪"です。


調べてみると、


【一】[名]胸や腹が急に痙攣(けいれん)を起こして痛むこと。さしこみ

【二】[名・形動腹が立つこと。不愉快で腹立たしいこと。また、そのさま。「いちいち—なことを言う」

[補説] 「癪」は国字


(デジタル大辞泉より引用)


違いはざっくりと "物理的" か "精神的" かでしょうか。


まあ分かってると思いますけど、物理的な痛みを綴るのはネカマに求められていない。


なので意訳をすれば、"なんか気に入らない" ということになるんでしょう。


で、ネカマは何が "癪" なのか?


結論から書けば、会話が成立しねぇ、ということです。


 批評と批判の混同


どんなふうに?と聞かれると、掲題でまとめられるんじゃないだろうか。


つまり、この2つをどちらも "批判" と捉えてしまう一方通行な状況で、こちら側の意図が伝わらない。


コレが "なんか気に入らねぇ" んだと思う。


あるあるだけど意見を述べるときに、例えば勢いで相手の人格を否定したり、とにかく対象をボロクソ書くことは100%な純粋悪だと、ネカマも思う。


よく言われる "伝え方の問題" だね。


それはただの悪口やけん、良くないよな。


でも少なくともネカマは "批評" してるつもり。


「批評」の意味は「物事の良し悪しや、是非などについて、よく考えて評価を述べること」です。つまり、客観的に論じることです。

「評」の文字には、「はかる」という意味が含まれます。したがって、「批評」は「批判」と比べると、「はっきり白黒つける」というニュアンスが弱いのです。


(「批評」と「批判」の違いとは? より引用)

https://gimon-sukkiri.jp/hihan-hihyou-chigai/


"良し悪しを熟考した結果" が "悪し" なだけであって、そこに誰かを否定する意図は含まれていない。


まあでもね、言われてる方の気分はいいものでは無いのは容易に想像できるし、(気持ちとしては)一理ある。


なんで "お前に言われなきゃいけないんだよ" といった感情が膨れ上がる。


この情緒が発生するために、どうしても会話の中で我々と認識のすれ違いが生まれるんだろう。


では何故、我々は "批判めいた批評" を行うのだろうか?


 結局(我々は)期待をしているから


ネカマは以前に "あなたたちに期待するのはやめた" と書いたことがあるが、結局は期待しちゃうんだよ。


なぜなら、あなたたちのことが大好きだから。


何度裏切られようと、どこかで自分の効用よりも大好きが勝るから。


きっといつかは...


無意識的な領域にそういう期待がまだまだあって、それがそこに存在し続けるための条件が "批評" なんだとネカマは思う。


そういう意味では、期待というものはいつでも高いプライドと共にあるのであろう。


最近またこの "批評" が多いのは、期待がまた1つ大きくなったからだと思う。


ネカマはそれを直接は言わないようにしてるけど、文字通り "批評" ならば、あなたたちは耳を傾けてもいいんじゃないだろうか。


もちろん批評する側のレベルが足りなかったりすれば、あなたたちが聞き手として単に不愉快にさせるだけなこともあるだろう。


例えば、単にスッキリしたいからとにかくぶちまけるタイプの人たちとか。


でも、それが理由で盲目な "全肯定" にばかり陶酔しているようでは、あなたたちの目指す舞台には絶対に立つことは出来ないと断言しよう。


ネカマは思うに、全肯定しか出来ないやつなんかに、期待やプライドは存在しねぇ。


いつか、日比谷野音に立つあなたたちの目の前には、期待もプライドもない、全肯定たちが蔓延るとしても、あなたたちの答えだから後悔はしないでほしい。


でもそれだけは、我々の中に、そして確かな期待と共にあるプライドが絶対に許したくない事実なんだよ。


あなたたちのことが大好きだから、許せないんだよ、そんなクソみたいな未来が。


だから "批評" が必要だ。


あなたたちの夢を叶えるために。


ただもうその僅かなプライドが、"オレたちのオナニー" だと言うのなら、この話は終わりにしよう。


そのときは無意識にある想いも全てを捨てて、盲目になったネカマが隣にいてあげる。


あなたたちはどうでしょうか。


最後に。


(あなたたちを含めた全ての)


我々には叶う。


ネカマ(17)