みなさんは、

「初めて読んだ本」を覚えていますか?

子供の絵本ではなく、活字がメインの本。

その本の内容は自分の生き方に

少なからず、

何か影響を与えているのではないでしょうか?


私の母は文学少女だったので、

子供におもちゃより本を与える人だった。

幼少期の思い出のひとつ、

寝る前の楽しみは「毎晩のおとぎ話」

読み聞かせではなく、

自らの記憶から、

童話や有名文学のストーリーを

話してくれた。

アラビアンナイトからイソップ、グリム、

今思えばギリシャ神話もあった。

時には映画オタクの母らしく

「風と共に去りぬ」や

大好きだったマカロニウエスタン映画の

ストーリーを、

情景や挿入されている音楽、

スクリーンスターの素晴らしさを、

淀川長治さん顔負け

臨場感あふれる語り口で、

何夜かに分けて話してくれた。


本の話に戻ります。

幼稚園に入る頃、

絵本の次に与えられた本は、図鑑。

絵本も図鑑も

ひとつ下の妹と頭を付き合わせて

一緒に読む(見る)から、

次第に自分1人で読める本が欲しくなる。

そうして初めて買ってもらった本が、

オスカー ・ワイルドの「幸福の王子」

何十回、何百回?読んだのか、

大好きで大好きで、

自分は王子やツバメのようになりたいと

思うと同時に、

そこに描かれている王子の世界すべてが

自分(自己)であり、

みすぼらしくなった王子を

手のひら返しで取り壊してしまう

街の人たちを世の中(他)と認識していた。

オスカーワイルドが

王子をキリストに見立てて書いた

この童話のアイロニー部分まで

三つ子の魂ではないが、

私の中に根付いてしまった事は恐ろしい。

自己満足と言われようと、

人の飢えや苦しみに鈍感で居られる

そんな世の中こそ「不幸」だと思ってしまう。

正義感とも少し違う気がする。

私にとって、この物語が教えてくれたことは、

街の人たちを責めることでも、

自分とツバメの行為を主張する事でもなく、

「現実や見返りに期待するな」であり、

報われるとすれば、それは自分の精神。

だって王子の鉛でできた心臓には

魂が込められていて、

それだけは誰にも壊せず残り、

その魂とツバメのなきがらだけが

天使によって神のもとへ運ばれる結末は、

正義にも悪にも触れておらず、

魂のみが救済された事しか書いていない。

それでいいのだ!

と、私はいつも思ってしまう。

毎日、多くの犬猫の殺処分のある現実に

鈍感でいたくないから、

せめて自分と縁のあった犬や猫の

里親を探して奔走していた頃に、

(ボラ団体に所属した事ないです)

「たった数匹救っても、焼け石に水」

と言い放ったうちのお店の常連姉妹が、

チャンピオン血統付きの犬を買う相談

(得意げにお値段まで説明された)

してきた時の話は以前このブログに書いたけど、

腹は立ったが

彼女らの鈍感さが、

かえって気の毒になった。

幸福の王子を読んでいなければ、

悪として憎んでいたかもしれない、かも?

自己犠牲とまではいかなくても、

昔から「人の事より自分の事から、

他人の事は放っておけ」と

何度父に叱られても

お節介な性分は直らず、

深夜の相談ラインに

起きてる限りは真剣に向き合うし、

それが自分にとってはあたりまえ。

だから負の遺産なのか、

jillが偏屈であまのじゃくな性格なのも、

幸福の王子による影響で

後天的なものだと信じたい(。-_-。)


そういえば、

オスカーワイルドの言葉で

好きなものがあるんです。


教育は結構なものである。

しかしいつも忘れてはならない。

知る価値のあるものは、

すべて教えられないものだということを


いつも、来てくれる方々に言いますが、

「ああしろ、こうしろと私は言いません。

自分で気がつき、決められるように

お手伝いをさせていただきます」

これって

占い師の言葉じゃないよねぇ(´Д` )


この言葉を理解して、

通ってくださる方々に、

感謝と愛でいっぱいです。


今日はオチ無しw

代わりに秋の炊き込みごはんの画像でも。

【今日の鉄鍋ごはん】

焼き鯖炊き込みご飯

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基本のレシピは

亡くなった母の十八番から。

これ作っててね、
色々思い出したり
ふと気がついて、
今日の記事を書いた次第です。

今日の炊き込みごはんを
夫に初めて出したら、
美味しいと3杯も食べてくれた。

母が作った鯖ごはんが食べたいなぁ。
秋なのか、ちょっと今泣きそう。

こんなに幸せなのにね。