学習院大学文学部の入試現代文をベースに「高学歴」の誤用が増えた理由について考えてみます。


「高学歴」というのは偏差値の高い大学出身を示す言葉ではありません。高卒より大卒、大卒より院卒というように学ぶ期間やレベルが高くなることです。ただ一方で、テレビなどでも高学歴芸人など難関大学卒の人間を高学歴と扱っています。当然ながら誤用です。


また、誤用といえば「最高学府」が東大を示すと思って使っている人も多いですが、純粋に大学を指します。当然ながら進学率の低かった時代に作られた言葉でしょうから、現在の感覚とは異なりますよね。


ではなぜ高学歴の意味がズレてしまったのか。学習院大学で扱われた苅谷剛彦「『学歴インフレ』脱却急げ」から読み解けます。


簡単に言ってしまえば、進学率の上昇により「学歴の濃度」が変化したからです。1990年代頃から大学が急増し、1998年に高卒者数より大卒者数が多くなったとのことです。つまり、昔だったら大学には動機、学力等を含め進学しなかったであろう層が大卒として社会に出たということです。


海外では自分の価値を高めるために大学より大学院へとシフトしますが、日本の場合は大学の偏差値に依存すると指摘されています。勤勉さや学習能力といった就職した後に訓練を受ける際の能力が企業から求められていると書かれています。つまり、入試時の偏差値ですね。


日本の学歴社会のどこが問題とされているのか。中間層は優秀であるが、指導者層が凡庸となってしまう仕組みである点だとされています。特に大学院へ行けとは書かれてはいませんが、大学でしっかり学ぶようにすべきだと結ばれています。


この文章を入試に使うという学習院大学は凄いなと思いました。


この問題集の最初の問題になりますので、機会があれば是非読んでみてください。また、読みやすく理解しやすい話ですので、中学入試や高校入試の対策としても使えると思います。


 

 

高学歴の意味がズレてしまった理由はそれぞれの大学の価値の濃淡に原因があるようです。海外では上に伸びるものが横に広がったということ理由という結論になりました。