「美人投票」と聞いて何を連想しますか?

 

この用語は経済学者のケインズさんが投資家の投資行動パターンの例えとして使った言葉です。

 

「投資」の目的はリターンです。

 

つまり「儲け」なのです。

 

相場で利益を出したかったら「他人の行動」は重要な要素となります。

 

上昇しそうな株式を購入して上昇した局面で売る。

 

株式相場を単純に言ってしまえばこうなります。

 

つまり自分が良いと思ったからという理由より「他人が良いと思うであろう銘柄」を購入しなければ利益は出ないのです。

 

他人が購入することで相場が上昇するわけですから。

 

言い換えれば自分の好みより他人の好みの方が重要なのです。

 

これが極端に発生すればバブルとなります。

 

有名なものにオランダのチューリップ相場があります。

 

あり得ないような価格でチューリップが投機的に取引されていたそうです。

 

「チューリップが儲かる」と思う人が多数に膨らんだ時に起きたわけです。

 

これは結局のところ「幻想」として終わってしまいます。

 

みんながいいというものがいい

 

みんながいいというものを信じるのがある時期まで正義になります。

 

これを日本における受験産業や大学ビジネスに当てはめるとどうなるでしょうか。

 

例えば東大信仰は代表格です。

 

東大は「名実ともに」という部分もありその意味で価値はあります。

 

日本の国内の知的な資源の中心にあるわけですから日本人である以上「トップ」として認めなければならないでしょう。

 

しかし中身がなかったとしたらどうでしょうか。

 

例えば地域の公立トップ校に何があると思いますか?

 

あるのは「みんながいいと言っている」ということ以外ないと思われます。

 

確かに卒業生の活躍や難関大学の指定校推薦の枠が他の高校より広いなどいくつかはあります。

 

しかしそれ以上に何かありますか?

 

高校は勉強する場だといいつつ塾や予備校に通っている生徒は極めて多いです。

 

言い換えれば「勉強は学校以外」でしているといってもよいかもしれません。

 

この意味で公立トップ校にあるのは「美人投票」の理屈だけなのです。

 

商業資本主義

 

ここに入り込んでくるのが塾や予備校、広げてしまえば大学ビジネスなどの商業資本主義なのです。

 

塾や予備校の「煽り」は高校や大学を商業資本主義の「美人投票」の候補者としてしまっているのです。

 

つまりそれほどの意味を持たないような高校や大学に価値を持たせてしまっているのが商業資本主義だといえるのです。

 

塾や予備校が現在のように煽らなければ生徒や保護者はこれほど踊ることはなかったでしょう。

 

テレビなどで学歴を大々的に使用することで一般消費者に刷り込まれていくのです。

 

少しでも偏差値が高い大学に進学したからと言ってそれが幸せに直結することはありません。

 

確率的に年収が多少多いことなどによる「僅差の幸せ」を得ることができるだけなのです。

 

特に塾で行われている「軟禁状態での居残り」などは典型的な商業資本主義の顕在化の例です。

 

つまり生徒や保護者は刷り込みにより少しでも良い高校にという思いを持ち、塾サイドは大々的に宣伝するための「合格実績」を獲得するために手段を選ばず強制的な手法を疑問を持つこともなく行使するのです。

 

このことが原因で「燃え尽き」が多数の高校生に降りかかるのです。

 

「合格させること」が正義なのです。

 

「合格させたのだから何が悪い」という反論は何度も聞いてきました。

 

合格させてしまえばどのような経緯があろうとそれ以降のことも無関係なのです。

 

言い換えれば「体罰」と同じ構図なのです。

 

「お前のために」が正当化されてしまうことも多いわけです。

 

そのようにして得た「栄光」には闇が付きまといます。

 

自然にのびのびと勉強して獲得した学歴ではないわけですから。

 

しかし高圧的な指導に耐えてきた生徒たちは必ずこういうのです。

 

「先生のおかげで今の自分があります」と。

 

このロジックは人生は一通りしかないという現実を当てはめてみれば簡単に崩せます。

 

つまり「他の生き方はできなかった」という背景から自己肯定に話をすり替えているということなのです。

 

仮に自分の「過去」を否定してしまったなら現在の自分の存在も否定することになるわけですから。

 

難関大学のメリット

 

ツイッターで以前に「東大や早慶の卒業生と肩を並べて仕事をしている」といった趣旨のツイートを見たことがあります。

 

確かにすごいことだとは思います。

 

しかしこの発言にすごく違和感を持ちました。

 

東大や早慶の卒業生と同等の仕事をしたとしても彼らの持つ「余裕」には及ばないからなのです。

 

つまり自分より上位の大学と比較している時点で「負け」なのです。

 

負けている人間が「同等」というのは間違いでしょう。

 

この意味で東大や早慶に限らず難関大学出身ということは「余裕」につながるのです。

 

このこともあり難関大学進学には意味があるとは思います。

 

しかし一方でそのような純粋さを利用したかのような塾や予備校の商業資本主義的な活動には否定的な考えです。

 

商業資本主義に利用されるな

 

まとめになります。

 

難関大学に進学することは良いことです。

 

しかし現状で起きているのは冒頭に書いた通り「美人投票」であり一種のミニバブルなのです。

 

素晴らしい学歴を獲得するために塾や予備校を利用することは間違いではありません。

 

しかし一方で塾や予備校に踊らされている側面があることを意識しておく必要性はあると思います。

 

言い換えれば「塾や予備校を利用する」というスタンスでいるべきだと。

 

塾や予備校の商業資本主義の犠牲者とならないでほしいなと思ってこの記事を書きました。