法政大学の2014年度入試の現代文に面白い話を見つけました。

 

職業柄「教育論」のようなテーマの現代文は見つけ次第読むようにしています。

 

今回見つけたのは泉谷閑示さんの「反教育論」という2013年に出版された書籍からの出題です。

 

泉谷閑示さんは東北大学出身の精神科医です。

 

精神科医から見た「教育」とはどのようなものなのでしょうか。

 

自分の世界を作る

 

出題部分の記述とともに考えてみます。

 

筆者によれば「人は成長していく過程で自分の世界を作っていかなければいけない」としています。

 

一方で「子供が自分の世界を作っていくには嘘をついたり秘密を持つことが不可欠だ」とも言っています。

 

一般的に子供は成長すべきだといいつつ嘘や秘密は否定する傾向にあります。

 

この状況で子供は「自分の世界」を持つことは不可能であるとしています。

 

子供を監視したり干渉したりする機会が増えているということのようです。

 

この結果として嘘や秘密といった「反抗」につながるような「芽」を摘み取ってしまうのだと言っています。

 

「隠し事の一切ない仲の良い親子」を理想として描くのだが「良い子」はいつか破綻すると。

 

それが肉体的に成長した「大人」の段階で発生する危険性を指摘しています。

 

つまり思春期や青年期に経験すべき一種の悩みに直面せずに大人と見做される段階へと送り出されてしまい自己でコントロール不能となるように仕向けられているとの趣旨で書かれています。

 

依存の危険性

 

普段から塾や予備校の講師に過度に依存する危険性を指摘している人間から見て泉谷さんの説には共感しかありません。

 

依存は成長を阻害する最大の要因です。

 

極力自分で考えるように仕向けていくのが教育だとも考えています。

 

塾や予備校の次元で「反抗期」は基本的に心配していません。

 

一番の弊害と考えているのは「レールがなくなってから」なのです。

 

つまり親や教師や講師などの周囲にいる大人たちのコントロール下から脱したときに自分で考える習慣がないために「他の誰か」に依存対象を変更するだけとも言うことができるはずです。

 

言い換えれば精神的に成長させずにレールのない荒野へと進むように仕向けているのが無責任な大人たちだと。

 

教育の目的

 

教育の目的は「自立」だと思います。

 

精神的な自立ができていないのに「高学歴」を持たされた人間は自己の持つ「武器」を正当に使うことができないはずです。

 

バランスを欠いた状態を教育は目指してはいないはずです。

 

成長につれ「自分で考える機会」を徐々に意図的に増やしていくのが周囲の大人の義務だといっても差し支えないと思います。

 

そのような機会を「善意」で奪ってしまっている大人たち。

 

子供たちを教育する前に大人たちが自分たちに課せられている義務を意識する必要性があるとも言えます。

 

確かに塾や予備校は「合格」という主目的をもって運営しているところが大多数です。

 

しかしこのレールに乗せての成功体験は「依存体質」の根底に残るはずです。

 

自分で考えて自分で決める。

 

極論すれば自分で責任を取る。

 

そのような厳しさを徐々に持たせていかないと教育は失敗したとも言えるはずです。

 

まずは大人たちの意識改革が必要なのかもしれません。

 

最後に

 

教育産業の人間として「合格」は最重要事項です。

 

しかし一方で子供たちにとっては教育されることでの「成長」が最重要事項であるはずです。

 

この2点を「依存」で結びつけてしまう合格至上主義には極めて否定的なんです。

 

合格を「善」と考える以上、不合格は「悪」になります。

 

合格至上主義の真逆の思想が「勉強原理主義」です。

 

勉強を通して何かを得ることを重視する考え方です。

 

仮に不合格だとしても「成長」につながる経験は否定すべきではないと思います。

 

「教育とは成長を見守ること」なのかもしれません。