よく学校で「みんなと仲良くしなさい」とか言われませんでした?
いじめの問題の根底にこの思想があると思うんです。
そもそもの段階で教師から他人との同質化、さらには同一化を求められているってことなんです。
初期設定で「仲良く」が存在しているのです。
「仲良く」が前提となっている以上「仲良くできそうもないヤツ」を排除しようという思考が働いても無理はないはずです。
仲良くできないのですから。
この排除の論理でいじめを正当化しつつ実行するのって自然の流れだと思うんです。
「いじめの肯定か?」ってなれば否です。
ではいじめを根絶できるのかという話に移ります。
根絶は不可能だと考えることもできますが以下の通りに発想を転換することで根絶は可能となるかもしれません。
では。
そもそもの段階で「みんなと仲良くしなくてよい」という方針をとることが鍵となります。
ただここでいう「仲良くしなくてよい」というのは争えという意味ではありません。
他者の存在を認めつつ独自性を各自が持つべきだという意味なのです。
言い換えれば「他者の尊重」なのです。
いろいろな人が存在していることを前提に他人とかかわることを是とすべきなのです。
「自分とは何か」「他人とは何か」を理解させることが重要なのです。
同一化、同質化は指導者側の管理のしやすさからの由来だと思われます。
「みんなそれぞれ違う」ということを指導者も深く認識すべきだと思います。
この状態でいじめが発生したならば合理的解決策が見つかるはずです。
自分と他人との差異がポイントになるからです。
「みんなと仲良く」を捨てることで第一歩が踏み出せるのかもしれません。