ツインレイの出逢いは、ある意味残酷、ツインレイの出逢いって、生きて来て一番嬉しい出来事ですが、それと同じくらい辛い出来事でもあります。

出逢う前は、「魂の修行」と言われているように、大きな苦労のある人生を歩みますが、血と涙の味がするその頃を振り返ってみても、正直、今の状況の方が辛いんじゃないかと思います。

ただ、心の中にいるツインレイの存在が、辛さの「クッション」になってくれていて、緩和させてくれている感じはします。どれだけ辛くても、昔のように絶望に襲われることは一度もありません。

ただ、やはり「人生の破壊」が起こり、人間関係も仕事も、全てがうまくいかなくなって、社会から孤立してしまったり、引きこもりになってしまったりして、精神的にかなり追い込まれることに変わりはありません。

傍から見れば、ツインレイの出逢いは、「出逢うべきでなかった残酷な出逢い」に見えるでしょう。一人の人間との出逢いのせいで、全てを失い、社会的にも精神的にも「死」と隣り合わせの日々を送っているように見えますからね。

ですが、精神的に追い込まれている状況の一方で、魂からは生命エネルギーが湧き上がってきて、生き生きしています。社会的・精神的な「死」は、0から人生を築き上げていくための、通過点でしかありません。

なぜ残酷な出逢いなのに希望と夢に満ち溢れるのか?

どう考えたって、ツインレイと逢えたことは「死んでもいいほど幸せなこと」なんですよね。だから、会えた時点で、「一生分の幸福」を一度にもらってしまったような感覚になります。

だから、何というか、その時点である意味、人生を終えてしまっているのですよね。だって、それ以上生きたって、ツインソウルと逢えたこと以上の幸せなんてないと確信できるので。

そんな心境だと、もう人生や命に対する執着もないので、怖いものなしなんですよ。出逢ったあと、どんなに苦悩しかない人生を送ることになったって、「自分は幸せ者だ」と思えるでしょう。

つまり、「一生分の幸福を感じる」ということは、ある意味「全てをなくすこと」と同じです。

だから、残りの人生、やりたいことと言ったら、ツインレイと出逢わせてくれた自分自身の人生と命に感謝して自分の夢を叶えてあげること、体を与えてくれた両親に感謝して親孝行すること。

そして、ツインレイに辿り着くまでの間、ツインレイのいる方向へ導いてくれた、すべての縁に感謝して、社会貢献をすること。

スピリチュアル💗LABOより、抜粋引用。

ツインレイの出逢いは残酷なのに希望と夢に満ち溢れるのは、お互いの「魂の片割れ同士」に出逢えたことにあります。

但し、ツインレイが現世で出逢うと「魂の成長(高次の次元に進化)させる」ことが求められます。これらは神から与えられた「試練を乗り越える」ことでお互いの魂が成長し、高次の次元に進化できるのです。

その間には、様々な「試練体験」がとても辛いものなのです。出逢ってから直ぐに別れて、離れ離れになり、最初の試練が訪れます。その後も、離れ離れになっていても、相手の体調や感情までも伝わったり、時にはソウルレイ相手の体調の乱れなども「シンクロニシティ」して体調を崩してしまったりします。私たちの時には、ソウルレイと別れて直ぐに、実父が亡くなり、葬儀に参列しても悲しみもなく、涙も出ませんでした。それどころではない、ソウルレイとの別れの方が辛くて、魂の一部が剥がされたように痛みなど感じて、下痢が一週間ほど止まらずに、体重が3kgほど落ちたほどです。

こんなに辛いのなら「ツインソウルやソウルレイ」などの関係は嫌だと否定したり、関係に成りたくないとエゴが強く働いたりしますが、それでも、長年の時を掛けても、ソウルレイ「魂の繫がり」は、思いの外、惹かれ合い、繋がっていることが体験、学びから悟っていきます。

そして、シンクロニシティ現象{共感、共有}などが強くなり、ソウルレイ相手に「希望と夢」が再び沸いて来ます。その前兆と思われるのが「ソウルレイの謎の病のシンクロニシティ」が頻繁に起きるようになります。

これらこそが「(統合)の前兆」なのです。そして、ソウルレイ(魂の伴侶)の最終段階の統合(再会)によってソウルレイの希望と夢が叶うということになります。

センスプロデュース研究所、葛西行彦