因果応報とは!日常生活でもよく耳にする「因果応報」という言葉は、仏教の教えを表す言葉です。
一般には、人を騙したり、嘘をついたり、不正をした結果、それが発覚して、処罰を受けるようなことがあると、「因果応報だ」などと使われたりしています。「苦しんでいるのは、自分のやった悪い行いのせいだ」という意味で用いられる場合が多いのですが、本来は、悪い結果に限らず、善い結果も「因果応報」です。
善いのも悪いのも、自分が受ける結果のすべては、自分が作るのだよ、ということを教えられているのが「因果応報」の本当の意味なのです。
私がこの「因果応報」の報いを享けたのは、今から13年前の朝方に不思議な「正夢」を視たことから始まりました。
それは、人生の半ば丁度50歳の時でした。何かの意味合いがあり、人の魂と出逢い、繋がったものです。
また、前世からの繋がりがあり、定まったただ一人(宿命)の人だったことなどを教えて貰ったものです。
2007年の5月にその方と「ソウル繫がり」をした私は、長年、人の感覚研究に特化して「感覚と脳の関連研究」をして参りました。
既に30年近くの年月が過ぎていましたが、ソウル繋がりしたその年の7月に急に電話が鳴り、神戸のKissFMラジオから取材を貰い、その日に電話ではありますが初出演しました。
また、9月には人生初のテレビ局、フジテレビ「めざましテレビ」のスタッフから「ワサビと味覚」についての取材と解説出演を果たしました。
その後も、テレビ、ラジオ、女性雑誌などから取材を受けるようになりました。それまでは、無名の冴えない感覚の研究者が、世間から注目され、一流の研究者の仲間になれたのも13年前にソウル繋がりした方が、元人気歌手だったことにも関係しているようです。
その方は、テレビ嫌いで数回しかテレビ出演をしていませんが、私は既に20数本のテレビ番組に、出演しております。
「ユキヒコさんの研究はもっと世間に知られるべき」とメッセージされたように、マスコミ等に導いて呉れたのだと思います。まさしく「因果応報」の報いだったと思います。
公私に渡り、幸運を齎してくれました。また、愛も狡猾して寂しかった私に「愛に満たされて幸せ」になれたのもその方のお陰です。
今では「美しい私の守護霊」として、私のことを見守り、支えて呉れています。
何時も傍に居て、仕事に疲れていれば心配し、励まして呉れています。
また、人とのトラブル、ストレスにも「私が居るじゃない」と心配しています。
休んで下さい。倒れないでねと優しく見守ってくれています。
因果応報は、過去からの行いや貢献などしている人には、良い報いが訪れ。人のことを貶したり、嫉妬や妬みなどをして意地悪なことを言ったり、虐めている人には、良い報いは訪れずに、悪い報いがあります。
人の運、不運は自分自身では決められず、行いよって決められると私は思っています。
私のことを貶し、中傷し嫌がられても、私はその人たちを憎んだりすることは一時あったとしても、人のことを貶したり、中傷などすることはありません。
無視することはあっても、負の言葉や行動を起こすことは絶対にありません。
そこれらこそ「因果応報の報い」を自ら体験している私だから分かっています。
「天に履いた唾は自分に返ってくる」ということです。
それよりも、私には「人助け貢献」という天命があります。そのことは過去、30年以上前から継続し、私の生涯をかけた使命でもあります。
センスプロデュース研究所、葛西行彦