五感教育研究所-s
私たち人は他の生き物たちと違い音を楽しむ事が出来ます。これらは他の生物たちと違い、巨大化し発達した脳のお陰なのです。
中でも、音楽という「楽器」を発明した人間はこれらを利用し、音を楽しむ「音楽」が生まれたのである。
現在はハイテクな道具が開発され、何時でも、何処でも音楽を楽しむ、聴くことが出来ます。音楽を聴くだけでなく、歌うことも人はできます。そして、オペラ、コンサートなどの音楽を聴く、見ることで「感動」するのです。
私たち人は耳で音を聴いていますが、耳は音を集める役割を担い。脳の聴覚野で音の方向や音の高低、音質などを認知するのです。
音色は、同じ音の高さ、同じ強さの音でも区別した音の特徴、音波の波形によって決まるのです。音には「純音と複合音」がある。様々な音の中でも、もっとも単純な正弦(サイン)曲線の形をとる音は純音と呼ばれます。
これは単一の振動数の音波で、音叉の発する音です。
これに対して、複合音は、音声や動物の鳴き声、楽器や機械などの発する音は複雑な波形をしており、これらの音は複数の異なる振動数の純音を色々な割合で含んでいるので「複合音」と呼びます。
また私たち人の聴覚は「雑音」を感じる。害音とは異なり、快感を感じない音を「雑音」と呼び、この波形は非常に不規則で、周期性を示しません。雑音の中でも、生活上に妨害する音がストレスになりやすい音は健康上の障害になったりする音は「騒音」と呼びます。
但し、私が危惧しているのは、現代人の「無音傾向」の強い音認識に警鐘を鳴らしながら異変に対して提唱している。
以前にも紹介した。無音傾向、現実的には無音はあり得ませんが、例えば昨年の夏に無音で盆踊りを踊っている人たちに声を掛けたら、ご近所から盆踊りの太鼓や音楽がうるさいと苦情があったため、ヘッドホーンを装着しながら盆踊りを静かに踊っているのである。周囲からすると異様な雰囲気である。
また、小学校などのラジオ体操の音楽までもやかましいと苦情を言うのである。これらから、私は「雑音」と「騒音」の違いを勘違いしている。理解していない人が増えていることに危惧している。殺伐とした世の中になり、精神的に不安定だったり、精神的な余裕のない人が増加していることに私は警鐘を鳴らしながら、感覚異変について「現代人の五感が危ない」とテレビ等に出演し、今後ともマスコミ等を通じ、ブログでも紹介して参ります。
例えば、現在の子供たちや若者たちでは野鳥の鳴き声などをうるさい、騒音として感じているようである。
これらは私たちの脳の認知に異変が起こっているのです。現在の子供たちや若者たちは生まれた頃から、電子音の洪水の中で生まれ育ってきた環境から、自然界の音などを心地よいと感じられない。また、自然体験など希薄であり、これらの体験不足、遊びなどの異変にも関係している。
一人で室内でゲーム遊びなど長時間、長期間行って依存すると電子音が心地よく、自然界の音、野鳥の鳴き声や盆踊りの音楽などを情緒として感じられず、電子音などの機械的な音を心地よいと認知するのが危険なのである。
脳の認知に異変が生じれば、風鈴などもうるさく感じ、雑音や騒音となるのです。音色や音を楽しむというような感覚にはならず、逆にイライラし、ストレスになりも脳が興奮し、暴力的になったり、凶暴になったりと人格異変も生じることがあるのです。
たかだか音と言うなかれ、正しい音の認識、音を楽しむ「心の余裕」がなければ、感性も脳も五感も発達せず、活性化しない。
幼い頃から、様々な音を聴き、体験し、心地よい音、楽しむ音楽など、心地よい音、雑音、騒音を正しく理解させる「音教育」の必要性を感じております。
まさしくこれらが「五感教育」なのです。今後とも五感教育の重要性を提唱して参ります。
五感教育研究所、主席研究員、荒木行彦、