こんにちは。あきです。

ものすごく久しぶりにAmebloを再開してみました。

 

 

 

あきってどんな人?
会社員なの?個人事業主なの?結論何している人なの?

そんな風に思っていただいていた方のために、
私の経歴とお仕事についてご紹介します。

 

 

略歴

 

お茶の水女子大学 人間・環境科学科 建築デザイン研究室 卒
青山製図専門学校 インテリア工学科 (夜間クラス)卒

構造設計士・木材活用コンサルタント、建設業の設計デザイン、
マルチなバックオフィスを経て、
現在はマーケティングエージェンシーにてコンサルタントを担当。

 

 

現在のお仕事(複業)
人生も仕事も心豊かに健やかに生きる人を増やしたい、という目的のもと、
働く人の基盤形成に関わる複数の事業に従事。
 

  • スモールビジネス向けビジネス戦略設計

  • 商品撮影、スタイリングフォト講座開講

  • 動画、バナー、名刺などのマルチクリエイター(業務委託)

  • 日本橋Connect Barの日替わりママ(ビジネスマッチング)

 

内定ゼロで迎えた卒業式

 

デザインの仕事をしたい、と考え始めたのは高校生の頃。

日曜19時頃から始まる、某リフォーム番組を見てドはまりし、

当時はインテリアデザインに関わる仕事がしたい!と考えていたのです。

 

今でこそ笑い話ですが、高校時代は鬼ゴリマッチョの体育会系女子。
内申点も足らない中、全校先生から「お前は絶対受からない」と言われ、悔しくて。

 

とにかく必死に勉強。

あとはもうキャラ勝負だ!と思い切ってお茶の水女子大学を推薦で受験。


口頭試問で最後に「ま、解答間違ってるけどね!」と教授方に大笑いされながらも、なんとか合格を果たしました。

 

大学では物理や化学などの研究室が多い学部の中、

唯一存在した建築系の研究室に所属し、

卒論と並行して1年間だけ製図や住宅デザインを学んでいました。

(丹下健三の自邸をひたすら手書きトレースした日々が懐かしい・・・)

 

ただ、当時の学部に建築士の受験資格がなく、

またリーマンショックで雇い止めも多かった中、

未知数すぎる私をデザイナーとして採用してくれる企業には出会うことができませんでした。

 

2009年3月。
私はついに内定を一つも得ることなく、卒業式を迎えました。
袴姿で面接の電話をかけまくっていたあの1日は、忘れられません。

 

 

学びや自己投資を続けたけれど、順風満帆にはいかなかった

 

それでも諦めきれず、

インテリアデザインを仕事にしたくて、

なんとか拾ってくれた構造設計事務所で働きながら、

土日を使ってキャリアスクールに通い、インテリアコーディネーターの資格を取得。
 

その後も働きながら夜間で専門学校に通わせてもらい、

設計デザインの勉強もしてきました。

 

専門学校では年度末に一般公開もされる優秀作品のひとつに選ばれ、

代表でプレゼンテーションの場に立ったこともあります。

 

画像1
 

※当時作ったポートフォリオの一つ。お世話になった大学教授の自邸をテーマに設計しました。
 

その後、

「働きながらでも通っていいと言ってくれた会社なんだから、残りなよ」

という周囲の反対を押し切り、

未経験で雇っていただける内装設計会社に就職。

 

晴れてあこがれのデザイナーに…!!!

 

しかし現実はそう甘くなく。

営業主体の企業体質の中、デザイナーの立ち位置はとても低く。

営業に言われた通りのものをつくらなければ「センスがない」と言われ、
プラスアイデアで作ったものは「ダメ案」と呼ばれ、
営業から言われた通りに作ったものはお客様から却下され。

 

営業の先にいるお客様の様子も、本当の気持ちも全く見えませんでした。

こんな形で頑張っても結果は着いてこなくて
大好きだったデザインの仕事が嫌いになりかけたことがありました。

 

 

「私の幸せってなんだっけ。」と思ってしまった

 

当時住んでいたところは千葉の「流山」というところ。

TXが開通し、開発が徐々に進み始めたくらいのころで、

駅から歩いて20分くらい。

高速道路と幹線道路が近く、キジやフクロウが鳴き、

周りは田んぼや空き地だらけの真っ暗な場所でした。

 

終電まで働き、街頭もない真っ暗な田舎道を歩いて帰り。

会社では理不尽(だと当時は思っていた)な要求ばかり求められる。

 

そんな中ストレスで体調を崩し、

生理の出血が止まらなくなり婦人科に通院。

排卵障害、不妊症と診断されます。

 

こんなはずじゃなかった。

やりたいことを仕事にして楽しく、幸せになりたかったのに。
 

ふと「私の幸せってなんだっけ。」と思ってしまったのです。

何度も辞めてやろうと思いましたし、
実際に辞表を出したこともありました。

 

「この現実から逃げたい!」
「もっとお客様の顔が見える仕事がしたい!」

という思いで様々な情報を調べ、SNSで出会った方をきっかけに、

2016年、複業をスタートしました。

 

 

週末起業で「デザインを仕事に」・・・
二足のわらじは思いのほか大変だった

 

学んできたデザインの中でもグラフィックづくりが好きだった私は、

「Webデザイナー」として当時はまだ始まったばかりのSNS起業家を中心に、

ヘッダー作りを始めました。

 

デザインを副業にしてからは、気持ちは持ち直したものの、

週末起業で大きな問題となったのが

【集客】と【本業(会社員生活)とのバランス】でした。

 

認知がなく、思うように自力で集客することが難しかった時期。
「SNS集客は発信が命!」分かってはいるけれど、

発信に偏ると今度は制作の時間が取れなかったり。

 

もう少し収入がほしい…という気持ちももちろんありました。
でも価格を上げるとお客様が来なくなるんじゃないか、と不安になり、

ずっと価格設定は低いまま

 

インテリア畑だから、もっとWEBについて学んだ方がいいのでは?と

新たにスクールに通うけれど、複雑な内容についていけず途中で頓挫。

 

巷で飛び交う「売上を拡大させるためのWebデザイン」には

心がときめかず違和感を覚え。

 

集客塾に行っても、

ビジネスコンサルを依頼しても、

私の不安はずっと解消されないままでした。

 

本当に私はWebデザイナーとしてやっていけるのか?
ずっと自信がありませんでした。

 

大きく変われたきっかけは「在り方」を考えてから

 

ある時、そんな私がひとりのお客様との出会いをきっかけに、

大きく変わり始めました。

 

集客ノウハウを得ることや、デザインのスキルを磨くこと、

だけでなく、そこからさらに一歩踏み込み、

「人として、どうありたいか?」

そんな風に在り方を考えるようになったのです。

 

自分のメンタルと向き合い、内面を磨き、

「こういう私が好きだ!」と思える行動を少しずつ取り入れ、
「これならちょっと頑張ればできる」小さなチャレンジを少しずつやる。

 

その結果、仕事を続ける上での心構えやセルフマネジメントの仕方が変わり、

自分の精神や体を削らずとも自分が納得できる【売上】が立つ。
そんな大きな変化がありました。

 

気づけば、自分の可能性を信じられる様になり、
気づけば、「私」という人で選ばれるようになっていました。

 

今のお仕事について

 

やめよう、と思っていた会社でミドルオフィス業務を続けながら、

引き続きWebやグラフィック中心にデザインのお仕事をいただいていましたが、

コロナ禍を機に、

「あれ、私、ただの何でも屋さんになってるんじゃないか」という不安に襲われました。

 

詳しくはこちらのnoteに書いています。
34歳。このままでいいんか。

 

現在は6年務めた建設業の会社を退職し、

これまた素敵なご縁で繋いでいただいたマーケティングエージェンシーで、

コンサルタント兼フロント営業として鋭意奮闘しています。
 

完全異業種ですが、

営業支援をしてきた中で感じていた、

「これ、やりたかった!!」がたくさん詰まっているので、

クライアントワークをしながらワクワクとお仕事させてもらっています。

 

また、本業の変化とともに副業でも、

自然と叶えたい未来のための「手段」が変化しました。

 

単なる「デザインをつくる人」ではなく、

その方の人生やお仕事により深く向き合い、

その中で生き方や働き方、あるいは事業について、

一緒に考え、より良い方向に向かうお手伝いがしたいと。

仕事はあくまでも手段。

「その先どんな未来を叶えたいか」目的がブレなければ、

軽やかに変化していって全く構わない、と私は考えています。

 

デザイナーとして培ってきた思考プロセスを活かして、

心からお役に立ちたい方のために、

私のこれまでを全力投球して支援できる形を模索しています。

 

終わりに

 

「疲れた顔した社会人見ると、働くってそんなにつまらないのかな、遊べないのかなって不安になった」

と、就職活動中の学生に言われたことがあります。

 

そんな意見を聞くと、

仕事もプライベートも自分らしく幸せに生きるなんて

高望みなのかもしれない、とふと感じることがあります。

 

それでも私は、ワークとライフどちらかを妥協するのではなく、

ワークも含めた「ライフ=人生」だし、

とことん楽しみ味わいたいと思うのです。

 

そうやって「この世界に生まれてよかった」と思える未来を残していきたい。

 

そのために「どうありたいか?」を真剣に考え、

「で、今そこに向けて何してる?」と自分に問い続ける。

 

夢はフワッとしたものでも、高望みでもなく、

「絶対に叶えるもの」として、一歩でも半歩でもいいから進み続ける。

 

必死にもがいてきた数年間。

ようやく歩きだせるようになったこの一年。

今は「循環させる」「より良くして残していく」なんてことを考えています。

 

プライベートでは結婚、離婚を経験。

子供はいませんが「産みたかったけれど産まない」選択をした過去があります。

 

選択した結果は変えられないし、

選択が間違いだったのではないか、と後悔した時間もたくさんあるけれど、

「この未来を実現しよう」

「よし、今から変えていこう」と

次の瞬間から私は前を向いて、歩み続けます。

 

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。