ファッションについて書くことが、ほとんどなくなった。

高いブランドのものはほとんど着ることがないし、今まで散々買い漁ってきた服やアクセサリーもお蔵入りをしている。

代わりにタンスに多く入っているのは、ユニクロやGUで買った安くて没個性的な服。

私はそれを、毎日着まわしている。


若い頃は好みがはっきりしており、自分の個性を出すために、自分の個性を活かせる服を探し求めていた。ボタン一つ、裏地ひとつにこだわった。

そんなこだわりを持たなくなったのは、体型が変わったのも一つ、歳をとったのも一つ、私服で過ごす時間がほとんどないのも一つ。

ただし、興味がなくなったわけではなく、私の人生におけるファッションの役割が変わった、ということなのだと思う。


仕事柄、老若男女問わず多くの人々に接する機会が多く、その度に私という人間を常に値踏みされている感覚がある。

そこに敵う服装とは、シンプルだが清潔感があり、品があるもの。それを踏まえてお手入れのしやすさ、扱いやすさ、サイズ展開などを加味して考えたら、やっぱりユニクロなどの服が一番使い勝手が良いという結論にいたった。


唯一無二のヴィンテージやモードを愛している私でさえ、そうした量産型の服を愛用するに至ったのは、自分の理想の姿にアセンションしはじめている証だと考えている。

たくさんの人に迷惑をかけながらもがいていた20代、

一つのことをつきつめることで、何かをつかむために必死だった30代、

そして40代の今では、自分の存在意義を見出し、それにふさわしい存在でありたいと願うようになっている。

その過程を経て、たとえ量産型の服を着ていても、言葉遣いや姿勢、ユーモアなどの内面を磨くことで唯一無二の存在でいられるとわかってしまったのだ。


人は、美しいものや楽しいものにしかよって来ないのは、厳然たる事実である。人々に余裕のない今の世の中では、特にそう感じる。

ただ、自分を美しいと評価するのは、自分ではなく周りの人々であり、周りから信頼されるにはわかりやすい服の方がいい場合も確かにある。


没個性的であるように見えて、きらりと光るダイヤモンド。

そんな存在に、私はなりたい。


今まで集めてきたコレクションを眺めながら、そんなことを思う。



チキンカレー。

ファッションは変遷しても、これだけは、若い頃から変わらない。