7th Senseな日々のつぶやき

7th Senseな日々のつぶやき

療育に真剣、そして全力です。

私たちの放課後等デイサービスには、多くの「障害」のあるお子さんが利用してくださっています。
しかし「どんな子どもが利用できるのですか?」と聞かれたとき、正しく答えられる人は実は少ないかもしれません。

保護者の方から次のようなご質問をいただきました。
「障害ではないのですが、命に関わる病気になり、そのことが原因で不登校になっています。利用できますか?」

放課後等デイサービスの利用条件

放課後等デイサービスは、児童福祉法に基づき「障害児」として認められることが前提です。
児童福祉法第6条の2の2には次のように定められています。

「障害児」とは、身体に障害のある児童、知的障害のある児童、精神に障害のある児童(発達障害を含む。)、その他心身に障害のある児童をいう。

つまり、対象となる障がいは次の通りです。

①身体障害
②知的障害
③精神障害(発達障害を含む)
④その他、心身に障害があると認められる場合

対象年齢は原則として 小学校入学から高校卒業まで(6〜18歳) です。

病気と「障害」の関係

「命に関わる病気」=「障害」ではない、と感じられる方も多いと思います。
ですが、障害者総合支援法の対象疾病に含まれる場合や、病気や治療の影響で日常生活に大きな制限がある場合は、「④心身に障害のある児童」に該当すると判断されることがあります。

たとえば小児がんの場合、がん自体は障害とみなされませんが、治療や後遺症によって以下のような制限が生じることがあります。

・治療により免疫抑制が強く、外出や集団生活が難しい
・脳腫瘍治療後に麻痺・言語障害・学習障害が残る
・長期入院で学習や発達に遅れが生じる 等

このような場合、医師の診断書があれば自治体の判断で「通所受給者証」が交付され、放課後等デイサービスの利用が可能になるケースがあります。

私たちの想い

病気そのものは「いつか治るもの」かもしれませんが、その間に子どもたちは大きな不安や孤独感を抱えることがあります。
私たちは医師ではないので病気を治すことはできません。
けれども、
「大丈夫だよ」「あなたは素晴らしいよ」
というメッセージを心から届けられる取り組みと環境をつくることはできます。

ときに「支援」に対して誤解や妬みの目が向けられることもありますが、子どもが「守られている」「認めてくれる人がいる」と感じられるなら、私たちはむしろいっぱいの愛情を注ぎたいと思っています。

夏休みに入りました。

この時期、「これまでの復習」や「苦手教科(単元)の克服」といった目標が、さまざまな学習現場で声高に掲げられます。
しかし、正直に言って「復習」で成果を上げられるのは、成績上位層のごく一部に限られるといっても過言ではありません。

むしろ、復習にばかり重点を置かれる成績下位層の子どもたちにとっては、それが誤った学習方針になっているケースが多いのです。

本当に必要なのは、2学期に学習する内容の「予習」を徹底することです。

例えば

be動詞と一般動詞の違いも理解できていない子どもに、受動態や現在完了が理解できるはずがないという意見があります。

分数や文字式の計算も曖昧な子どもに、方程式や関数が理解できるはずがないという意見もあります。

これらは、いずれも事実でしょう。

しかし、もっと大きな事実があります。それは、

復習に力を入れても、先が見えない学習に子どもはモチベーションを持てず、結局その内容は定着しないまま新学期を迎える
そして、また新たに「理解できない単元」が増えていくだけなのです。

確かに、学習には「向き・不向き」があります。
それでも、だからこそ

「楽しい」「もっと学んでみたい」という気持ちがどれほど強く学習に作用するか、そしてその結果として生じる“素晴らしき誤解”が、時に学力を大きく押し上げるという事実を知ってほしいのです。

次のような様子を想像してみてください。

2学期が始まり、授業がスタートします。
これまでなら、「つまらない」「理解できない」時間だったかもしれません。

しかし、復習はできていなくても、予習をしてきた子どもはこう思うかもしれません。

「これ、知ってる!」「あ、なんとなく聞いたことがある!」

そんな“少しでも分かる”という感覚が、授業への自信につながり、「次も聞いてみようかな」という前向きな気持ちを生み出します。

そして実際に、このようなきっかけで“大化け”していく子どもを、私は塾で何度も見てきました。

卒業した生徒が、ふとこんなことを言ってくれました。

「先生、僕、英語はできてたよね?」

客観的に言えば、正直“できていた”とは言い難いかもしれません。
でも私はこう答えます。

「確かに、英語ができる素質を感じたよ」

すると、生徒が続けて言います。

「英会話、習いに行こうと思ってるんだ」

これこそが、最も大切な“動機付け”だと、私は思います。

我が子を「伸ばしたい」「守りたい」。
そんな思いが強すぎるあまり、親としての客観性を失ってしまったり、ときには子どもを追い詰めてしまったりすることがあります。

他人に対してなら冷静にアドバイスできるのに、我が子のことになると、まったく別の方向に突き進んでしまう――そんな経験は、誰しもあるのではないでしょうか。

だからこそ、私たちのような“他人の存在”が必要なのではないか、そしてお役に立てる場面があるのではないかと、私は日々感じています。

「なぜ、そこでその言葉を選んだのだろう」「もっと他の伝え方があったのでは」
「どうしてその方向に決めてしまったのか」「もっと別の方法があったのでは」

そう思うことが、支援の現場では少なくありません。

強い愛情は、ときに相手にとって重荷となり、心を傷つけることさえあります。
それは、親子関係だけでなく、男女の関係でも同じかもしれません。

だから私は、良い意味での「他人」として、親御さんや子どもたちに寄り添える存在でありたいと思っています。
そして、そうした関わりができる仲間の集まりをつくりたいとも、常に願っています。

子育て中の皆さんには、ぜひそんな「他人」の存在を、あらかじめ心に留めておいてほしいのです。

考えすぎてしまう前に、ぜひ誰かに話してみてください。

そして、もし過去に――
強すぎる愛情で子どもを傷つけてしまったことがあったとしても、どうか過度に後悔しないでください。
なぜならその愛情は、時間をかけて、子どもが成長し親になったときに、きっと届く日が来るからです。
愛情は裏切らないですから。

ただ、それには長い時間が必要かもしれません。
だからこそ今、心から支えてくれる人を、そばに見つけておいてくださいね。

私たちがその存在になれるように努力していきたいです。