空海の「秘密曼荼羅十往心論」 | 占龍館代表 黄麗(おうれい)/ 見えない世界からのお告げをあなたに  タロット・霊視・法則占術・ZOOM鑑定

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昨日、一昨日と長野県に行っておりました。友人(新婦側)の結婚式に参加しました。

 

天台宗のお寺の副住職様とのご結婚で、仏式での結婚式でした。

 

私は、仏式の結婚式に参加するのは初めてでした。

 

披露宴は、全国から集まった僧侶の方が大半で、会場は丸坊主頭だらけで

普段にはない独特な雰囲気でした。

 

皆さん、普通にお酒とお料理を楽しまれている中で

私の為に新婦がしっかりとベジタリアン料理をホテルに頼んで下さっていて

引き出物にまで、動物の命が含まれていないものを配慮して頂きました。

 

他の参加者と、わざさわざ別にご用意されたようで

そこまでの心配りに頭が下がる思いです。

 

余計なお手数をお掛けしているわけです。

 

 

ありがとうございます。

 

心からお二人のお幸せをお祈りいたします。

 

 

 

 

このように

色々と気を使わせてしまいますが、感謝するしかありません。

 

一度、ベジタリアンになっても挫折してしまう方は

「人に合わせる」ことを優先させる人です。

 

人に合わせることが良い事で、合わせないことは悪だと脳にインプットされていれば

日本でベジタリアンになることは困難ですし、それ以外のことでも真理の道を探究する者にとっては弊害になります。

 

 

最近、縁あって、空海の「秘密曼荼羅十往心論」に出合いました。

 

 

 

 

 

 


一段階から十段階まで、心の在り方が書かれています。

 

その中では、ベジタリアンはまだ、仏教(四段階目)を学ぶ以前の二段階目の状態なのです。

 

私は2015年9月18日からベジタリアンになりましたので

それ以前は、一段階の状態の心だったということになります。

 

赤ワインが大好きで究極のグルメでしたからね。

 

 

 

かなり、ショックを受けました。「私は今まで何を学んできたのか!」と。

 
   

 

 

一段階目、第一往心「異生羝羊心」(いしょうていようしん)

 

無知なものは、無知だと自覚がなく、雄羊のように性と食のことを思い続ける。

人として生まれながら、人間以前の存在。(まだ羊の心で人間ではないと言われています。)

 

 

二段階目、第二往心「愚童持斎心」(ぐどうじさいしん)

 

他の者の縁にふれて、たちまち節食を思う。他の者に与える心が芽生える。

倫理道徳に目覚め、人間存在としての自覚が得られた最初の段階。(まだ子供だと言われています。)

 

というふうに、十段階まで書かれています。

 

 

 

節食をしない限り、また施しをしない限り、二段階目から上には行けないのです。

 

お金の寄付や「無財の七施」レベルが出来て、まだ子供と空海は定義したのです。

 

私は、半世紀を生きても、まだまだ子供だったのです。

 

命ある間にどこまで、行けるのか! エネルギーが漲ってきました!

 

何に合わせて生きるのか?

 

私は「真理の法」に合わせて生きて行く覚悟です。

 

心がどの段階に在るかで、同じ生年月日であっても、起こることと結果が違ってきます。

 

 

 

以下、

 

第三往心「嬰童無畏心」(ようどうむいしん)

 

天上の世界に生まれて、しばらく復活することができる。 それは幼児や子牛が母にしたがうようなもので、一時の安らぎにすぎない。

 

 

※これは、動物的本能の素直な心の状態を示しています。やっと宗教心が目覚める段階です。

 

 

第四往心「唯蘊無我心」(ゆいうんむがしん)

 

ただ物のみが実在することを知って、個体存在の実在を否定する。教えを聞いてさとる者の説は、すべてこのようなものである。

 

※「一」の世界。ワンネスを感得した状態です。やっとここからが仏教の入門です。

 

 

第五往心「抜業因種心」(ばつごういんじゅしん)

 

一切は因縁よりなることを体得して、無知のものをとりのぞく。このようにして迷いの世界を覗いて、ただひとり、さとりの世界を得る。

 

※無知無明から抜け出せた状態です。

 

 

第六往心「他縁大乗心」(たえんだいじょうしん)

 

一切衆生に対して計らいのない愛の心を起こすことによって、大いなる慈愛がはじめて生ずる。すべてのものを幻影と感じて、ただこころのはたらきのみが実在であるとする。

 

※ここからやっと、覚者としてのはたらきが起こります。ここまでこないと大いなる慈愛は生じないのです。

 

 

第七往心「覚心不生心」(かくしんふしょうしん)

 

あらゆる現象の実在を否定することによって、実在にたいする迷妄を断ち切り、ひたすら空を感ずれば、心は静まって何らの相(すがた)もなく安楽である。

 

※瞑想の極みです。 われわれの本来の心は生滅を越えている存在であるとさとる段階。

 

 

 

第八往心「一道無為心」(いちどうむいしん)

 

現象は別け隔てなく清浄であって、認識における主観も客観もともに合一している。そのような心の本性を知るものを称して仏というのである。

 

※やっと仏の領域に入りました。

 

 

第九往心「極無自性心」(ごくむじしょうしん)

 

水にはそれ自体の定まった性はない。風にあって波が立つだけである。さとりの世界はこの段階が究極ではないという戒めによって、さらに進む。

 

※ここで、止まってはいけない。観照にとどまっていてはいけない、実修実践に励むのです。

 

 

 

第十往心「秘密荘厳心」(ひみつしょうごんしん)

 

真言密教は庫の扉を開く。 そこで庫の中の宝はたちまちに現れて、あらゆる価値が実現されるのである。

 

※曼荼羅というう宇宙的真理図を開示する。万徳の自性、輪円して足れり、一生に荘厳の仁を証することを得る。

 

 

 

(空海コレクション1より)

 

 

 

道を逸れずに歩んでいくうちに、超越が起こるのです。究極の占いは宇宙的真理そのものです。