




「青いタマゴ」を食べて、名寄駅に。
いよいよ音威子府に向かう汽車に乗る(写真1)。住んでいたころは、ここの1時間が長いようにも思えたが、アっという間に音威子府に着く(写真2)。
いよいよ音威子府に向かう汽車に乗る(写真1)。住んでいたころは、ここの1時間が長いようにも思えたが、アっという間に音威子府に着く(写真2)。
バスに乗って、東に向かう。なにせ、とにかく寒いのだ。霧の中、というか、ジリ(この辺りの言葉で、霧雨と霧の間くらいの感じというか、ジットリ濡れてくる重く冷たい空気)が漂っている(写真3)。
レンタカーを借り、浜頓別のクッチャロ湖に、思わず向かう(写真4)。北オホーツク荘は取り壊しの最中だった。ユースホステルも廃業してしまってから長い・・。
そのまま、町内の墓地に向かい、世話になった方のお墓にお参りする。この地域の郷土史や自然環境を、つぶさに見つめてこられた人物で、僕がこの地域を故郷と思えるようになったのも、この方のおかげだ。
そのまま、町内の墓地に向かい、世話になった方のお墓にお参りする。この地域の郷土史や自然環境を、つぶさに見つめてこられた人物で、僕がこの地域を故郷と思えるようになったのも、この方のおかげだ。
さらに頓別の港を眺めて、枝幸、歌登、中頓別と巡り、思い出を辿ったのであった。