お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ 建仁寺

18日は、Aさんのお墓参に、久しぶりに知り合いの方々と大谷本廟へ行ってきました。ご存命ならば、皆とこれまでどおりゴルフやハイキング、小旅行などのお付き合いをしていたと思います。墓前では、花とお線香(事前に奥様が準備を)をそなえて、合掌していましたら、Tさんがお経(般若心経)を称え始めましたので、ご一緒に読経しました。酷暑の中、高齢のCさんに気遣いながら三年坂、八坂の塔、を巡って松原橋の近くのカワカフェさんでランチをしました。ほんの少しの時間でしたが、皆さんの元気な様子をうかがえてよかったです。

大谷本廟までは、四条河原町から建仁寺を通り徒歩で向かいました。建仁寺では、双龍頭を描かれた小泉淳作氏の作品展が行われていました。

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へお墓参り 建仁寺

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ 建仁寺 小泉淳作展

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ 建仁寺

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ 建仁寺

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ 大谷本廟 円通教(めがね橋)

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ 清水寺

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ カワカフェ(Kawacafe)

カワカフェは、料理の味と盛り付けに定評があり、店内には猫と青鷺がいることで知られています。川沿いのロケーションを活かした店内は、落ち着いた雰囲気です。

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ 幾度となく来ていますが、落ち着くいいお店です。2階はクーラーが効いています。

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ ピザかパスタかと迷ったのですが・・・

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ 先斗町歌舞練場 京都の五花街のひとつ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ 高瀬川

高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵の父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河で、 開削から1920年(大正9年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられていました。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいます。

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ 高瀬川

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ

お墓参り 四条河原町から大谷本廟へ 本間精一郎遭難の地

勤王の志士、本間精一郎が襲われた場所。越後(新潟県)に生まれ、文武両道に秀で弁舌も巧みで、友たちも多く、江戸に出て遊学し、安政の大獄の後、京都に上って尊王攘夷活動に身を投じました。特定の藩に属しなかったため、公卿にも接触をはかり、長州、薩摩、土佐藩士にも遊説し、尊王攘夷思想の急進派とされていました。これまでの活動は「寺田屋事件」で封じられて、酒色におぼれ、仲間にも罵声を浴びせるようになり、同志が次第に嫌われるようになり去っていきます。先斗町三条の料亭で遊び、四条の料理屋を出た帰り道に襲われ惨殺され、襲った8人の中には薩摩藩、田中新兵衛や、土佐藩、岡田以蔵もいたとか。29歳没。

一万円札の肖像になっている渋沢栄一も、若い頃は尊王攘夷思想に染まったのですが、いろんなつてで、一橋家に仕えることに。ヨーロッパへ使節団の一員として赴き、文明の開化を目の当たりにして(井の中の蛙大海を知らず)、日本の進むべき道を覚醒(国が富み、兵が強くなるためには)していくのですね。たった4隻の軍艦にビビった江戸幕府から開国へと明治維新に・・・・