播州清水寺 5月6日

石楠花が咲きほこっているいるのかと思い訪ねてみました。すでに終わっているようで、次回、紅葉時に訪ねてみたいと思います。新緑(青紅葉)がきれいでした。秋には色づいて真っ赤になるのでしょうね。

播州清水寺 縁起 (ホームページから)

推古・聖武 両帝勅願所  本尊 根本中堂(十一面観音)・大講堂(千手観音)奉安

御開山法道仙人は印度の僧で、今より1800年前、人皇十二代景行天皇が治められていた時に、中国、朝鮮を経て御嶽山に住まわれ鎮護国家豊作を祈願されました。推古35年(627年)推古天皇勅願により、根本中堂が建立され、仙人一刀三礼の秘仏「十一面観音」、「脇士毘沙門天王」、「吉祥天女」の聖像が安置されました。もともとこの地は水に乏しく、仙人、水神に祈ったところ、霊泉が湧水し、その事に感謝して「清水寺」と名付けられました。神亀2年(725年)聖武天皇は行基菩薩に勅願して大講堂を建立、永く経典の講義をする道場として、法灯を国中に輝かされました。花山法皇西国御巡拝の時、ここを訪ねられ御詠されて以来、西国二十五番の札堂と称するようになりました。

播州清水寺

播州清水寺

播州清水寺 薬師堂

播州清水寺 子歳

昭和59年11月3日、再建落慶。創建は清盛の義母『池の禅尼』
東京芸大 藪内佐斗司教授作「十二神将」が安置されています。東京藝術大学大学院文化財保存学の教授として、文化財保護の人材育成と仏像修復にも携わり2010年に開催の「平城遷都1300年祭」の公式キャラクター・せんとくんのデザインを担当されました。

丑年

寅年

卯年

辰年

巳年

午年

未年

申年

酉年

戌年

亥年

播州清水寺

播州清水寺

花まつりは「灌仏会」といって、お釈迦様の誕生日をお祝いする仏教行事です。日本には7世紀ころに中国から伝わったと言われています。「花まつり」と呼ばれるようになったのは明治時代から。お釈迦様がルンビニーの花園で生まれたことから「花まつり」になった、ドイツの“Blumen Fest”を「花まつり」と訳した、また4月8日が、桜の花が満開の季節であることにちなんでつけられたなど、諸説あります。

甘茶には「政治を行って平和な世が訪れると、甘い露が降る」という言い伝えや、「飲むと不老不死になれる」という伝説などが各国にあります。そんな甘茶をかけることで、お釈迦様への信仰を表しています。

播州清水寺

灌仏会で使用されている甘茶は、実はお茶ではありません。ヤマアジサイの変種「小甘茶(こあまちゃ)」から作られています。小甘茶の葉は苦いのですが、発酵させると砂糖の100〜1,000倍の甘さになると言われています。砂糖がない時代には甘味料として非常に重宝され、漢方薬などにも使用されていました。

播州清水寺

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播州清水寺

 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、今から1200年ほど前の平安時代初期の武将で、征夷大将軍として蝦夷(現在の東北地方)を討伐した人物です。奈良から平安時代にかけて、朝廷は、敵対(あるいは反抗)する蝦夷に対して度々東征していました。蝦夷側からも見なければいけないですね。昔から東北地方は、中央(大都会)から搾取されていますね。奥州藤原氏が、中央権力(源頼朝)に滅ぼされたり、最近では、東京人が使う電力を(国策)まかなって、津波で原子力発電所が倒壊する事態になり大勢の人が亡くなり大被害を受けました。

播州清水寺

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播州清水寺 引退ポスト

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