京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

すぐ近くに奈良公園があり、京都府と奈良県の境ですね。往きはスムーズに行けたのですが、帰りには、大阪府羽曳野市にナビをセット、奈良公園を通るため渋滞に巻き込まれました。高速は思ったほど混んでなかったですね。紫陽花の時期に訪ねようと思っています。由緒ある花の寺です。本堂には一木造りの阿弥陀如来坐像(座高3m)が鎮座していました。(撮影禁止)

「岩船寺縁起」によると、天平元年(729年)に聖武天皇が夢想によって大和国鳴川(現・奈良市東鳴川町)の善根寺(ぜんこんじ)に籠居していた行基に一宇の阿弥陀堂を建立させ、のちに弘法大師とその甥である智泉大徳が伝法灌頂(かんじょう)を修し灌頂堂として新たに報恩院を建立したのが草創の始まりとされる。(岩船寺ホームページから)

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

嵯峨天皇が智泉大徳に勅命して皇子誕生の祈願をさせたところ霊験現れてめでたく弘仁元年(810年)に皇子が誕生(のちの仁明天皇)し、弘仁四年(813年)には檀林皇后(橘嘉智子)本願となり堂塔伽藍が整備された。 そして、弘安二年(1279年)に報恩院を移して本堂とし、最盛期には寺塔三十九坊の広壮を誇ったが、承久三年(1221年)の兵火(承久の乱)によりその多くを焼失、再建した堂宇も応長頃(1311年)にまたもや兵火によって失ったが、寛永年間頃(1624~43年)に徳川家康・秀忠らの寄進により修復されたと記されている。(岩船寺ホームページから)

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

「岩船寺」の寺号の存在を示すもっとも古いものは境外にある不動明王立像磨崖仏(まがいぶつ)の銘文に、弘安十年(1287年)の年号と発願者である岩船寺僧の文字がみえる。鎌倉時代から江戸末期までの当尾(とうの)地域は、岩船寺・浄瑠璃寺ともに南都興福寺一乗院の直末寺であったが、明治に入ると廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により本山である興福寺が相当な混乱時期に入り、岩船寺は無本寺となり無住となったが、明治十四年(1881年)に真言律宗・西大寺の末寺となった。その後は現在に至るまでに本尊と三重塔の本格的な修理、老朽化の進んだ仮本堂の建替えなどの整備が進み、境内には四季折々の花が咲き誇る「花の寺」として多くの参拝者が訪れている。(岩船寺ホームページから)

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉 不動明王

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉 おおてまりと三重塔

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉 おおてまり

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉

京都府木津川市 岩船寺 三重塔初層特別開扉