西宮市大谷記念美術館 須田国太郎の芸術

今日は曇り空で、バイクで出かける予定だったのですが、北側は雨雲が見えていて、丹波篠山、亀岡、京都方面へは天気の良い日に行こうと予定を変更しました。近くの西宮市大谷記念美術館で開催している「須田国太郎の芸術」展へ行ってきました。平日とあって、ゆっくりと素晴らしい濃い絵画作品を見ることができました。全国各地を巡回しているのですね。写真撮影は、フラッシュを除きOKでした。4月21日(日)まで開催しています。参考になさってください。

須田国太郎の芸術

須田国太郎の芸術

須田国太郎の芸術 

洋画家の須田国太郎(1891~1961)は「東西の絵画の綜合」という壮大なテーマを掲げ、日本の精神文化に根差した日本独自の油彩画のありかたを追求し、近代絵画史に偉大な足跡を遺しました。

京都に生まれ、幼少時代から絵画に親しんだ須田は「東洋と西洋では、なぜ絵画が異なる方向で発展を遂げたのか?」という疑問を解明するために、京都帝国大学及び同大学院で美学・美術史を学びました。大学院に在籍中には「絵画の理論と技巧」を研究テーマとし、同時に関西美術院において、デッサンを学んでいます。

1919(大正8)年に28歳で渡欧し、スペインのマドリッドを拠点にヨーロッパ各地を訪れ、ヴェネツィア派の色彩理論やバロック絵画の明暗法など西洋絵画の底流をなすリアリズムの表現に関心を持ち、探求しました。1923(大正12)年に帰国して、日本独自の油彩画を生み出そうと制作に励み、1932(昭和7)年41歳の時に初個展を開催しました。これを契機として、ヨーロッパ留学中に交流のあった里見勝蔵や川口軌外の誘いにより、1934(昭和9)年に独立美術協会会員となりました。これ以後須田は、同協会展を中心の舞台とし、意欲作を発表していきます。骨太で生命感溢れる作品群には、会得した理論に裏付けられた風格さえ宿しています。

「西宮市大谷記念美術館」会場のパンフレットより

須田国太郎の芸術   工場風景1936 兵庫県立美術館

須田国太郎の芸術 早春1934

須田国太郎の芸術

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須田国太郎の芸術

須田国太郎の芸術

須田国太郎の芸術

渡欧の際に2台のカメラを持参。イーストマン・コダック社製「№3オートグラフィック・コダックスペシャル」とクルト・ベンツィン社製の「レヒテック・プリマー」

須田国太郎の芸術 修理師1938 京都国立近代美術館

須田国太郎の芸術 歩む鷲1940 東京国立近代美術館

須田国太郎の芸術 動物園1953 京都国立近代美術館

須田国太郎の芸術 窪八幡1955 京都国立近代美術館

須田国太郎の芸術 唐招提寺礼堂1932 京都国立近代美術館

須田国太郎の芸術 アーヴィラ1920 京都国立近代美術館

須田国太郎の芸術 模写グレコ「復活」1921

須田国太郎の芸術 黄豹1944 三之瀬御本陣芸術文化館

須田国太郎の芸術 愛宕山より1934

須田国太郎の芸術 信濃の山1934

須田国太郎の芸術 夏の朝1933 東京国立近代美術館

須田国太郎の芸術 西班牙山間1932 東京国立近代美術館

須田国太郎の芸術

須田国太郎の芸術  朝焼け(河内葛城山)1950

須田国太郎の芸術 山姥

須田国太郎の芸術

須田国太郎の芸術 黒鶴1948 

須田国太郎の芸術 イヌワシ1953 京都国立近代美術館

須田国太郎の芸術 グリコのおまけを収集していました

須田国太郎の芸術

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須田国太郎の芸術

須田国太郎の芸術

須田国太郎の芸術 蠟梅

須田国太郎の芸術 クリスマスローズ

岡本太郎 午後の日