水子のこと、貴方はどれだけ知っていますか? -3ページ目

水子のこと、貴方はどれだけ知っていますか?

水子について詳しくご存じでしょうか?
慈母観音寺(別名 千里眼観音寺)法智龍馬が水子供養を通して体験した、感じた、様々なお話をかいています。
水子をお持ちの方は勿論、自分の親や子に水子のおられる方も参考になさってください。



もし三途の川を渡る事が出来なければ、どうなるのでしょう・・・。

三途の川の手前は賽の河原です。

そこで咲いている花は彼岸花だけです。棘があるあの世の大きな彼岸花は、真っ赤な血の色をしています。この世でも何故か、お彼岸の時期にしか咲きません・・・。

この賽の河原は、所謂、お賽銭という金銭が関与する世界で、自分が生きている間に、どれ程のお賽銭をお地蔵様にしたのかという事を問われる世界でもあります。

何故、お賽銭が問われるのでしょう?

それは、お地蔵様の変化尊が、あの世の閻魔大王だからなのです。

自分の死後、万が一、懐に六文銭を持たせてくれていなかったとしても、生前にお地蔵様に充分な程のお賽銭をしていたのであれば、

心配しなくてもお地蔵様の助けで、三途の川を渡れる事となり、渡った先にあるとされるお花畑で先祖や知人が待ってくれていることでしょう。

もし、三途の川を渡る事が出来なければ、貧(とん:むさぼり)・瞋(じん:いかり)・痴(ち:おろかさ)の三毒の作用によって、賽の河原をひたすら下ることになります。

下に下るほど、地獄の程度が酷くなり、最後にはに辿りつきます。

皆さんは、海はロマンチストな世界の様に思うかもしれませんが、本来、海というものは食うか食われるかの一番壮絶な弱肉強食の世界なのです。

海より上は天の世界ですが、海そのものは地獄なのです・・・。

ですから、間違っても「私が死んだら遺骨を海にまいて欲しい」という遺言はあってはならない事なのです。
(海には散骨した骨(カルシウム)を分解し、食べてしまう多くのプランクトンがいます・・・。)

三途の川を渡れず、最後の海に辿りつくまでは、一体、何処に留まるのでしょうか・・・。

まず、六道輪廻のうちの畜生道と呼ばれる場所があります。人間に食べられる運命にある生命、牛や豚、羊などの家畜がいる世界です。

次に、修羅道と呼ばれる場所です。そこはイタチや蛇、狼などの動物が這い回っています。即ち、死するまで戦い続けなければならない世界です。

そして次は、餓鬼道と呼ばれる場所です。鼠やゴキブリといった小さな生物がいます。常に飢えていて、食べ物を探し続ける世界です。

ですから、我々は必ず三途の川を渡らなければならず、その為にも六文銭が必要なのです。

そして、この六文銭を持たされて葬儀を受ける必要があるのです。何故なら、葬儀の儀は、仏の弟子となる儀式であり、その為には再度、人として生まれ変わり、仏道修行をする必要があるからなのです。

我が家は無宗教ですから、葬儀はしません。火葬だけで済ませ、生前の友達を集めてヨットの上から海に散骨して終わります。

なんて事をしてしまうと、亡くなった人は、壮絶な世界に彷徨うこととなります。

今からでも遅くはありません。亡くなった人の事を想い、正式な葬儀をされるべきだと思います。


■□■□■□当主自己紹介■□■□■□■
弘法大師と執契金剛院阿闍梨大僧正圓照
大和尚を我師とし、
真言系単立の寺院をご意見無用にて当主を
つとめさせて頂いております。
また先達善友の会を発足し、皆さまと共に
各種霊場の巡礼を
楽しくさせて頂いております。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

慈母観音寺(別名 千里眼観音寺)HP







先日、京都の巡礼で、久しぶりに清水寺を参拝致しました。

近頃は外国の観光客の方が多く、ゆっくりと参拝出来ないのですが、今回は比較的、観光客の方が少なかったせいか、いつもより静かでした。

観光と参拝の違いを改めて感じると共に、いつもと違う清水寺のお顔に気づく事が出来ました。

それは、水子観音様(悲母観世音菩薩様)でした。赤ちゃんの形をした塔婆が、水子観音様を囲むように並んでいました。

その光景に何とも感慨深い気持ちになり、皆で一心に拝みました。

そして少し進むと、風鈴が清水の風に吹かれて心地よく鳴り響き、清浄な気を漂わせている光景に出会いました。



観音霊場の先達になってから初めての感覚でした。

次に、納経所で御朱印をもらうのですが、ここで、宗徒の方への朱印帳15冊と、宗徒の血縁者に万が一の事があった時の為に、六文銭を購入しました。





この六文銭というのは、人が亡くなった時に必ず身内の方、または葬儀屋さんが、亡くなられた方の懐に持たせるものです。

通常は以下の様な文字や形をコピーした白黒の薄い紙を持たせる程度です。



(皆さんは、あまりお気付きになる事は無いかもしれませんが、必ず持たせてくれます・・・)
六文銭とは、三途の川を渡る時に必要なお金です。

何故、必要なのでしょう?

三途の川の深さは丁度、死者の背の高さになっています。足はつくものの、頭のてっぺんまで浸かってしまうので、渡るには泳ぐ他、術は無いのです。

しかし、そう簡単には泳げないのです。

死者は49日以内に家族(親族)の追善供養または生前の自己の悟りによって、生前の煩悩を無(空)にしなければ、あの世の重力で体が重くなり川に体が浮かないのです。即ち、溺れてしまうということなのです。

その時、もうばい神かお地蔵さんに六文銭を支払い助けてもらえるのです。

お地蔵様は、死者が川で溺れそうになった時に錫杖で川底を突きながら死者の元へ行き、沈む体を助けてくれます。



その為、錫杖の長さは人の身長の高さと同じぐらいあるのです。

錫杖には、六道輪廻を示す6つの輪、真ん中には仏の世界を表す須弥山、そして上には先祖の元へ行く事を表す五輪塔があります。

「なんだ、結局、あの世でもお金を支払わなければ助からないのか・・・」などと思ってはいけません!!

お金というのは、この地球上で人間しか使う事が出来ません。そして、お金の事を免罪符と言います。

一体、何の罪から免れさせてくれるお符なのでしょう??
生物界でいう力そのもの、所謂、弱肉強食の業から免れさせてくれるのがお金(免罪符)なのです。

わざと変な例え話をしてみます。お年寄りの愛人が20代の場合もあり、また、芸能人が年の差を超えて結婚(自分の子供と同じ年齢ぐらいの人と結婚する)する事もよく聞く話ですね。

しかし、これは自然界では絶対に有り得ない事なのです。

自然界では若いメスは、若くて強いオスと交尾し、そして強い遺伝子を持った子孫を残そうとします。

しかし、人間はその力というものを、お金という財力に変換するのです。勿論、全てがそうとは限りませんが、お年寄りの方も平和に生きられるという事は、お力を財力に変換し、其の下で法律というルールで無事に居られるということなのです。

あの世で三途の川を渡る事により、高等な先祖の元へ行く事ができ、また、人として生まれ変わる事が約束されているのです。

その為に、六文銭が必要なのです。

死者が三途の川を渡るとき、六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)から人間道を選べる様に、人間にしか扱えないお金が必要なのです。

もし三途の川を渡る事が出来なければ、どうなるのでしょう・・・。

次回に続く・・・


■□■□■□当主自己紹介■□■□■□■
弘法大師と執契金剛院阿闍梨大僧正圓照
大和尚を我師とし、
真言系単立の寺院をご意見無用にて当主を
つとめさせて頂いております。
また先達善友の会を発足し、皆さまと共に
各種霊場の巡礼を
楽しくさせて頂いております。
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