もし三途の川を渡る事が出来なければ、どうなるのでしょう・・・。
三途の川の手前は賽の河原です。
そこで咲いている花は彼岸花だけです。棘があるあの世の大きな彼岸花は、真っ赤な血の色をしています。この世でも何故か、お彼岸の時期にしか咲きません・・・。
この賽の河原は、所謂、お賽銭という金銭が関与する世界で、自分が生きている間に、どれ程のお賽銭をお地蔵様にしたのかという事を問われる世界でもあります。
何故、お賽銭が問われるのでしょう?
それは、お地蔵様の変化尊が、あの世の閻魔大王だからなのです。
自分の死後、万が一、懐に六文銭を持たせてくれていなかったとしても、生前にお地蔵様に充分な程のお賽銭をしていたのであれば、
心配しなくてもお地蔵様の助けで、三途の川を渡れる事となり、渡った先にあるとされるお花畑で先祖や知人が待ってくれていることでしょう。
もし、三途の川を渡る事が出来なければ、貧(とん:むさぼり)・瞋(じん:いかり)・痴(ち:おろかさ)の三毒の作用によって、賽の河原をひたすら下ることになります。
下に下るほど、地獄の程度が酷くなり、最後には海に辿りつきます。
皆さんは、海はロマンチストな世界の様に思うかもしれませんが、本来、海というものは食うか食われるかの一番壮絶な弱肉強食の世界なのです。
海より上は天の世界ですが、海そのものは地獄なのです・・・。
ですから、間違っても「私が死んだら遺骨を海にまいて欲しい」という遺言はあってはならない事なのです。
(海には散骨した骨(カルシウム)を分解し、食べてしまう多くのプランクトンがいます・・・。)
三途の川を渡れず、最後の海に辿りつくまでは、一体、何処に留まるのでしょうか・・・。
まず、六道輪廻のうちの畜生道と呼ばれる場所があります。人間に食べられる運命にある生命、牛や豚、羊などの家畜がいる世界です。
次に、修羅道と呼ばれる場所です。そこはイタチや蛇、狼などの動物が這い回っています。即ち、死するまで戦い続けなければならない世界です。
そして次は、餓鬼道と呼ばれる場所です。鼠やゴキブリといった小さな生物がいます。常に飢えていて、食べ物を探し続ける世界です。
ですから、我々は必ず三途の川を渡らなければならず、その為にも六文銭が必要なのです。
そして、この六文銭を持たされて葬儀を受ける必要があるのです。何故なら、葬儀の儀は、仏の弟子となる儀式であり、その為には再度、人として生まれ変わり、仏道修行をする必要があるからなのです。
我が家は無宗教ですから、葬儀はしません。火葬だけで済ませ、生前の友達を集めてヨットの上から海に散骨して終わります。
なんて事をしてしまうと、亡くなった人は、壮絶な世界に彷徨うこととなります。
今からでも遅くはありません。亡くなった人の事を想い、正式な葬儀をされるべきだと思います。
■□■□■□当主自己紹介■□■□■□■
弘法大師と執契金剛院阿闍梨大僧正圓照
大和尚を我師とし、
真言系単立の寺院をご意見無用にて当主を
つとめさせて頂いております。
また先達善友の会を発足し、皆さまと共に
各種霊場の巡礼を
楽しくさせて頂いております。
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慈母観音寺(別名 千里眼観音寺)HP