お寺様は先祖供養というのをよくします。
又全ての宗教の基本は先祖供養をしているといっても過言ではないくらいです。
当方の当院でもよくしています。
しかし、もっと大切な事があるのです。それは水子供養なのです。
しかも水子供養を正しく行っていない人が多いどころか水子の命日すら覚えていない人達がほとんどです。
ほとんどの人がこう言います。
「私は水子を下ろしてから一度お寺に行って水子供養をしてもらいました」
と言います。
そして私は更に
「ではそのお寺は貴方の家系の菩提寺ですね」
と聞きます。
(菩提寺とは皆さんの家が先祖代々お世話になっているお寺。法事の時に家に来てくれるお寺)と
「いいえ違います、とてもそこのお寺には頼めません」
そして
「私は水子供養をしたのは後にも先にもその時だけです。
だけどいつも水子の事を思っています」
と全く自分流に解釈して正式な水子供養をしていないという事になります。
ならば正式な水子供養とは何なんだと言われますと私はこう答えます。
他の死んだ者と同じ扱いをして上げ、きっちりと葬儀をし、戒名を授け、そして皆と同じくその子の菩提寺を親自身で決めてあげる事だと。
水子で一番辛いのは人工中絶です。
その場合よく考えなければなりません。
いわゆる自分の親の都合により自分は殺された事になります。
これほど人間の命として辛い事はありません。
それを他の死者と同じに扱わないという事は殺された子の立場からすると悲惨な気持になります。
まず中絶、流産、死産のほとんどの
水子は遺骨がありません。
遺骨が無いという事はお墓がないという事になりますね。
一体水子のお骨はどこに行ったのでしょうか。
答えはこうです。
中絶の場合、水子のご遺体は病院から母親に渡される事はありません。理由は残酷なのでここでは書けませんが、医療廃棄物として処分されている事になるようです(ランクがあるようですが)。
又死産などでご遺体を渡された場合、そのご遺体を小さな木箱などに入れてくれて、
それを親が火葬場に持って行き火葬をしますが、
火葬場の人は受け取るだけで火葬する所には立ち合わせてくれない事が多いようです。
結論としては、火葬場の炉の800度という温度には小さな赤ちゃんの体は耐え切れず、全て蒸発してしまい、何も残らないのです。
ですので、親はその子の名残を持ち帰る事はできないのです。
これで水子と親を結び付けるものがなくなったかと思いきや決してそうではないのです。
その水子は何よりも母親と父親を選び、間違いなくその血族のカルマ(業)を受け継ぎ生まれてくるのです。
しかし、その業を受け取る事が得がたかった場合、又その水子の前世での仏徳が低かった場合、その水子は新しい生命を自己の体に取り入れる事が出来ず、絶命してしまう運命となってしまうのです。
一度その親という血族の業を選び、この世に生まれる決意をした水子の魂は、その血族の手厚い供養がない限り三途の川を渡る事が出来ません。
三途というあの世の川を渡れない限り再び人として生まれて来る事は出来ません。
この三途の川を渡るには非力の水子の力だけでは到底無理なのです。
水子が三途の川を泳いで渡る事は出来ません。
水子が三途の川を立ち歩いて渡る事は出来ません。
方法は一つです。
地蔵菩薩の力を借りるしかないのです。
■□■□■□当主自己紹介■□■□■□■
弘法大師と執契金剛院阿闍梨大僧正圓照
大和尚を我師とし、
真言系単立の寺院をご意見無用にて当主を
つとめさせて頂いております。
また先達善友の会を発足し、皆さまと共に
各種霊場の巡礼を
楽しくさせて頂いております。
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慈母観音寺(別名 千里眼観音寺)HP