オヌシナニモノ~味園の思い出 | 何か書いたりしてます

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とりあえず何か書いてます。

「次から味園ビルの白鯨って所でライブするんですよ」
本町の地下で松原タニシくんからそう告げられた。十四、五年前だったはず。
次の月のそのライブは、ぼちぼちサブカルの巣窟と呼ばれ始めていた味園ビルで行われた。CMで何回も見たけど実際には行った事がない場所。
前は通った事があるけど、足を踏み入れた事はない未知のエリア。
薄暗い。
スロープ。
噴水。
目立つネオン。
テレビで見たあの場所にいよいよ足を踏み入れる。ドキドキしながらスロープをゆっくり上った。
いかがわしい雰囲気。でも実際中に入ってみればそうでもなかった。
怖くない怖くない。

何やあ。考えすぎやったわ。

それが私の味園初体験。
何年か通ってるうちにほんまにいかがわしい人と出会ったりもしたな、まあ、色々あったね。
普通に仕事して、息抜きにお笑いライブ見て、という生活をしていたのでお笑い絡みの友達がほとんどだった。でも味園に通ってるうちにお笑い関係以外の友達も出来始めた。
その中には亡くなってしまった人もいるし、なかなかお会いすることが難しくなってしまった人もいる。

思い出もたくさんある。
大晦日に酔っ払いに絡まれてマジ喧嘩しそうになったり、やっぱりでろでろに酔ってる人とガチ喧嘩しそうになったり…いやいや穏やかじゃないな。もう何年も前の話ですし。時効時効。

父親が亡くなって家族が上へ下への大騒ぎになっていた時、ぶっちょさんに「疲れたらいつでも味園に来てください」って言われてだいぶ心が救われた事もあった。会社行きたくない、家にも帰りたくないって荒んでた時期、だいぶ味園に救われてました。

後はライブ行ったらお客さんがワタシだけだったとか、酔っ払った勢いで友達になっちゃったりとか(マジで覚えてなくて、後日友達から「そうやって友達になったんやで」って教えてもらった)何かもっとあるはずなのに、記憶の引き出しがなかなかに錆びついていてすぐには思い出せない。

そんで、何者でもなかった私が「DJ」になっちゃったのも味園でした。
あのイベント終わりに「DJやってみたい」と口にしたのは八年前だったような。
いくつかイベントにも出させていただいて、それきっかけで仲良くなった人もいます。本当にありがたい事です。
一瞬「DJやってるんですう」って調子こいてた時期がありました。何者にもなれなかったやつが一瞬だけ「何者か」になれたって勘違いしてた。そういう時期でした。
ええ年こいた大人がしょうもない。でも、楽しかった。それは間違いなく楽しい時間でした。これから生きていく中でも、走馬灯の一角になる事は間違いないくらいの思い出になってます。

さて現実がやってきて、どうしようもなくショックを受けてるわけなんです。
これはもう、書いて何とかするしかねえ。「光る君へ」で蜻蛉日記の作者の寧子も言ってたじゃないか「書く事によって救われてきた」って。
つーこって吐き出してみた、今の心境でした。


あとがき。
今は何者でもない、ただの無職おばさんです。ツインテールもやめちゃったし。
てかもともと何者でもないじゃない。ただの「人」なんやからして。

明日はネコをまたまた病院に連れてかねばならんのでぼちぼち風呂入って寝なきゃ。
膀胱炎めんどくせえ。