斉藤龍興 は美濃国主であったものの稲葉山城の戦いで織田信長により美濃を獲られ、美濃を奪回するために織田包囲網を築き上げた人物である。
斉藤龍興が国主となったのは14歳の時である。
若くして国主となったため、政治を家臣に任せていたが、重用した家臣が悪評のある斉藤飛騨守だったため信望は得られなかった。
酒や女を好んでいたため、竹中半兵衛により稲葉山城を獲られるということもあった。
後に返還
稲葉山城の戦いではひそかに城を脱出。
この時、20歳
長島を経て京に住まい、信長と共に上洛してきた足利義昭を攻めるも大敗(六条合戦)。
その後は浅井、朝倉、本願寺、三好を集めて織田包囲網を築き、信長を大いに苦しめました。
しかし、信長の朝倉攻めにより、討死 享年26歳。
後半部分を見ると、かなり政治を執り仕切る能力があるように思える。
これは、美濃を獲られた悔しさからだろうか。
道三、義龍と続いた斉藤家は龍興の代で断絶した。