907年は、世界最大の帝国にもなった唐が滅亡した年です。


 何故、唐は滅亡したのか。


 唐の勃興は618年。


 隋の失政で国が混乱し、煬帝が暗殺されると太原留守(総督)であった李淵が煬帝の孫であった恭帝から禅譲を受けて即位、唐を建国した。


 隋の残存勢力を攻め滅ぼしながら領土を拡大し、アラル海まで領土を広げた。


 玄宗の時代になると、開元の治といわれる長い治世が行われたが、後半になると玄宗は政治の意欲を失い、安史の乱が発生した。


 長安や洛陽が陥落したがウイグルからの援軍を受け、長安を奪回するも唐の国威は大きく傷付いた。


 以後、唐は衰退していくこととなる。


 宦官の専横や反乱が繰り返し起こり、907年に河南地方の藩師であった朱全忠は哀帝より禅譲を受けて後梁を開き、唐は滅亡した。


 唐の滅亡により群雄割拠の五代十国の時代に突入した。



 唐のことを簡単に挙げましたが、唐が滅亡するきっかけとなったのが玄宗の時代の時ですね。


 玄宗の時代の中頃に楊貴妃という女性が現れます。


 玄宗は楊貴妃を溺愛して政治の意欲がなくなったと言われています。


 その間の政治は楊一族の楊国忠が執り仕切った。


 節度使の安禄山は楊国忠と対立し、安史の乱を起こした。



 これにより唐は衰退の一途をたどった。



 自分の考えでは、楊国忠が唐を衰退させた張本人だと考えています。


 専横をするために楊貴妃を玄宗に近づかせて政治の意欲を無くさせたのだと思っています。




 唐の滅亡の影響は新羅や渤海にも及び、新羅は935年に滅亡、渤海は926年に滅亡した。


 朝貢国の運命ですね。