トランプ相場で全然、市場が読めません、せんらくやです。

今回のブログはずばり「読む」です。

整体師にとって、「読む」と言えば「身体」を読む、
山屋にとっては「地図」を読む、「天気」を読む、
トレーダーにとっては「市場(数字)を読む」ということになります。
今日はそんな「読むこと」について、あれこれ書いてみたくなったので、書いてみます。

先ず人類の歴史を紐解くと、書ける、読めるということは特殊な能力で、文字については保守性と秘匿性があり特権階級の人に許された秘密の技能だったそうです。

これは再現性を高める技術として、自分の利益を安定化させることもできるし、後世に情報を残すことにもなります。

人の記憶や感情はあやふやなものであるからこそ、文字や数字、音符で記録を残したのが人類の進化につながったと受け止めています。

「今日はいっぱい動物捕まえたぞ~。こないだよりも多いな~。これを表すなんかええ方法ないかな~そうや、数というもので表してみよう」と書き始められたものがあります。

「あっちに行ったら水があって、こっちに行ったら動物が獲れるねんけど、ワイ、今日は行けへんし、あの人に行ってもらいたいな~、どうやって説明しよ?そうや、山と川と目印になる大きな木を書いてみよう」と書き始められたものがあります。

「ちょっと、ワイ、いろいろ世界みてきてんけどよ~、世の中にはいろんな人がいて、いろんな辛いことがあって、こうすれば幸せになるんとちゃうやろかな~ということを考えたし、ちょっと話しするわ~」と昔の人が言うて、「なんかそれ、めっちゃええですね~、ぼく、書いてみますわ」と書き始められたものがあります。

「え、なんか、あの星だけ、全然動かへんねんけど、ほかの星はあの星を中心に回ってへんか?え、マジで?もしかして、地球って回ってるの?ちょ、調べて書いてみよ」と書き始められたものがあります。

「なんか、これきれいな曲やな~、でも、なんかこないだの方がよかってんな~、なんか、毎回、おんなじ音出せる方法ないんかな~、あ、ちょっと、書いてみよう」と書き始められたものがあります。

「こないだ、見たことと聞いたことをつなげて、人に聞かせてみよう。あ~でもこれ、時々、違うものになるな~、ちゃんと書いてみよう」と書き始められたものがあります。

書くことは客観的事実や自分の感情を表現すること。
読むことは、自分が知らなかった事実や知識、他者の体験や感情を垣間見ることです。

私は文字を書くことで私の脳の中身を表現し、また客観視することができるし、読んでくださっている方は私の考えを知ることができますし、私という人物、整体師を判断できる。

シンプルに掘ると「読むこと」は「情報を受け取る」ということになりますし、「書くこと」は「情報を送る」ということになります。

私自身、読む速度はめっちゃ遅い上、集中力が切れて、すぐに眠たくなります。最近は老眼も天敵です。
一冊を読み切るまでとかではなく、そのタイミングの気分によって本を選びます。だから、読みかけの本と積読本は結構あります。そして、内容を全部覚えているかと言えばそうではなく、印象に残ったところが自分の脳の栄養になるようなレベルです。
なぜか本を読むという行動に憧れがあって、読めるようになりたいな~と思いながら日々、読むように努めています。これは私の世界の全部を知り尽くしたいという「世界征服欲求」からきているものと理解しています笑

そんな野望とは別に将来のやることリストの中に、「座り心地のいい椅子があるカフェ探訪と読書」というものもあります。

「読書」では、めっちゃ賢い人達が、めっちゃ時間かけて調べてくれたことを知ることや、自分が体験したことのないような出来事や感情の動きを知ることができます。
しかも、めっちゃコスパがいい。

コスパの話でいうと、最近では「青空文庫」といって、版権の切れた書物が無料でネットやアプリで読むこともできます。

 

 

ここでドストエフスキーや坂口安吾といった人の書いたものを最近、私は読んでいます。
ドストエフスキーは19世紀後半のロシア帝国の小説家で、ソビエトになる前の様子が見れたり、坂口安吾は第二次大戦前後の日本の様子が見て取れます。当時は靖国神社の下を電車が曲がるたびに頭を下げるという慣習があったことを知った時は驚きました。
このように、当時書かれた、書物から現在と違うものと変わらない、普遍的なものを知ることができます。

コスパつながりでいえば、こういった経済系の書物も電子書籍で無料で読むことができます。
 

 

 

 

 

 




書物を読むと、実はこうだったということがわかります。
 

タイトルだけで、「え、どういうことなん?」と気になるこれら2冊はまだ私も読んでいませんが、今、読みかけている本たちの次のリストに入っています。
 

 




物語や小説は特別に必要な情報がないようにも一時は考えていましたが、先ほど書いたように当時の様子を知ることや、人間の普遍的な感情や行動、それらから、人生においてのまだ得ていない体験を予習することもできるのかなと思っています。

しかし、どれだけ読んでも理解できないものもあります。
私にとっては数式や音符はもうわけがわからない。
文章でも経済系のものはめちゃくちゃ眠たくなります。

近頃知ったもので「アレクサンドラ構文」「アミラーゼ構文」というものがあるそうです。
これは文章を読解するための力を計測するものだそうです。

「読む」と「見る」の違いは、そういう理解できないものをどう理解していくかという能動的、主体的行動です。

文章を読解することは客観的に物事を観察し、情報を正しく収集するということにつながります。
まさしく、これが冒頭で書いた「特殊な能力」「保守性と秘匿性」「秘密の技能」につながります。
これら正しい情報の収集があれば、求める未来に対して正しい行動、または正しいチャレンジができます。
時間の使い方や努力の方法、ミスやエラーですら効果的、効率化できます。

テレビや映画、インスタリールなどは受動的な行動とも言えますが、それらについての感想やまとめ文、評論、記録を残す行動をとればそれは受動的にはならず能動的な行動になるので、「読む」「表す」といった能力が進化するのではないかと思っています。


人は行動を選択できます。
全ての人ではないですが、少なくとも我々日本人はある程度の行動は選択できます。

昔あった漫画のセリフで「学ぶことが唯一の平等だ」なんてのもありましたが、全くその通りだと思います。

見ること、聞くことを選んでいくと人生はどんどん変わっていきます。今が満足だろうと不満足であろうと人生は続くし環境は変化していきます。
そんな全ての変化に対応するためにも「読む」はとても大切なことだと考えます。

人生はいつも未体験ゾーンとの向き合いです。
私も年を重ね、そこそこ経験を積んでいますが、まだまだ、道半ばです。
「読む」ことで少しでも充実した人生を選択したいなと思っています。

以上です。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

これは私の愛蔵書です。
まだ読み切ってないのもあります。
以前は小説もそこそこあったのですが、昨年段ボール8箱くらい処分しましたが、今はこれくらいです。


これは整体室にある分。
解剖や整体に関連するものは自分へ投資となりました。


これは私の机のところにある分。
歴史、哲学、経済知識系は覚えられないので合ってたかな~と時々確認します。


これはダイニングキッチンにある分。
「ダイニングキッチン図書館」はなんか気に入ってます。