最近、もっぱらはまっていることはデンタルフロスです、せんらくやです。

17年前に整体を始めた時は
何か世界の価値観が「クオリティオブライフの向上」みたいに、
整体を中心に変わるようにならんかなと
ちょっとかっこええことを考えていましたが、現実はそう甘くなかったです。

ただ、整体を中心に変わることはありませんでしたが
自分を大切にすることや、時間や体験にお金を費やすこと
筋トレや可動域、モビリティーの概念は一般化しつつあると感じることがあります。

これは私としては実に喜ばしいことです。

17年間、整体(※ここでは地軸と関節の可動域の関係性)という「軸」で
人を見続けていると自然とみえてくることがあります。
それは、ある一定の未来の傾向です。
それは未来リスクと呼んでもいいかもしれません。

例えると、こんな性格でこんな歩き方をしている人はこうなってくるとか、
この生活スタイルでこういう動作をしている人はこうなってくるとか、
この可動域でこういう体の使い方をしている人はこういうところが痛んでくるみたいな感じです。

 

前回書いたようにすべてを「相関と因果」だけでは測れないものですが
「このままいくと、こうなるよね」くらいの割と確度の高めの未来予測がみえてきます。

逆に、こういう体の使い方をしている人がこういう使い方にすれば、
その未来リスクは軽減されるといったこともみえてきます。

そのようなことが整体師として日々、知識を積み上げ、経験、思考を重ねるうちに
整体の意義のようなものが統合されてきたように直近の私は思います。
表すとこんな感じ。

「整体とは過去を癒して、今を見つめて、未来を照らすという行動」

どうですか?
なんか、ちょっとかっこよくないですか?
かっこええかどうかは別にして、間違ったことはひとつも言うてへんのですよね。

命あるものは必ず終わりはくるという事実を直視し想定しつつも
過去、こうやって体を使っていたけど、それを癒して、
こういう行動を習慣を作って行動すれば、未来はこんな感じになりますよ~
ということを提案できる、それが整体師なのかな~という感じ。

「今の自分はこんな感じだけど、未来はこうなりたい」
そのような聞き取りをして、話しをした上で整体を始めると
目的が明確になるから、効果を高めやすいというメリットもあります。


今来てくださっているお客さんでも
未来がすっかり変わってしまっている方も多い。
過去の状態よりも悪化していない方もそこには含めておきます。
「先生のところで整体受けずにあのまま生きてたら今頃どうなってたんかな~」
そんなことを言ってくださることもおられました。


これは私の整体を受ける受けないに限らず、
客観的に現状をみて、過去を分析して、
正しい知識の上、何か未来を見出すために行動している人は
同じように未来を照らしているはずです。

みえない未来を作り出すのは、行動しかない。
せんらくやの整体がその一介になればええな~なんていう私の雑感でした。



 

 

楽しみにしていた一条百鬼夜行にて