開業から14年。
落ちた看板を修理しない整体師、せんらくやです。
看板がなくても整体はできるので問題ありません(笑)
今日は変化の話をします。
タイトルの準備はできていますか?は
変化への準備ということです。
日本国内の「地上波テレビ放送」という大手広告のための情報を取らなくなっておよそ1年。(テレビ捨てました)
私が得る情報は今まで知らなかったものばかりでした。
3Dプリンターで家が建つとか。
電気自動車は氷の上でも問題ないとか。
もしかしたら病院がなくなる日が来るかもしれないとか。
人間が労働しなくてよくなる未来がくるかもしれないとか。
私が知らなかった世界は強烈に
テクノロジーを発展させていました。
テクノロジーの変化の歴史を遡ると、大きな転換点は鉄道かなと考えました。
1804年に蒸気機関車が初めて製作されて、1825年にイギリスで開業されました。
1827年にはアメリカ。1832年にはフランス。1835年にはドイツでも開業されました。
1825年の日本は江戸時代、文政8年でした。
浮世絵師の葛飾北斎、東海道中膝栗毛を書いた十返舎一九が活躍していた時代。
異国船打払令という外国の船を追放しろといった法令も出されていました。
日本で実質的に鉄道が運用されたのは1873年のこと。
イギリスで運用されてから48年後のことでした。
48年後です。
古いものが悪くて、新しいものが良いとか、
日本がどうとか、世界がどうとかいうような主旨のことを書くつもりはありません。
変化というものをどうとらえるかという話です。
先に紹介した動画のテクノロジーの数々。
私はこれら全ては命の尊厳のためと感じています。
人間の歴史は実に動物的でした。
狩猟採集の頃はまさしく動物と同じステージにいました。
その後、農業技術(テクノロジー)が発達し、食物の問題を解決しました。
そして、文化、産業と文明はどんどん拡大しました。
そこから、経済という新しい概念が生まれ、それがまたテクノロジーを発達させました。
経済という概念が巨大な戦争を生み出したこともあります。
これら歴史の中で大きな変化を動かしているのは個人の思考の集合です。
時代の中で「こうすればいいかも」という
「できない言い訳より、できる方法を模索する」思考や
「こうすれば生き残れる」という生存戦略。
こんな思考や生存戦略が同時多発的に、
稀に画期的なものは、ごく少数の思考の変化からはじまります。
バタフライエフェクトと呼ばれるものです。
私も含め大多数の人は時代の変化を巻き起こすとは思えないので
もう少し個人的なところに目線を置き換えてみます。
私たちの思考はどうでしょう。
自分自身に対しての考えや気持ちはどうでしょう。
整体師、心理カウンセラー的立場からみるとこうなってしまいます。
私はよく学校で「みんな」という言葉を聞きました。
いいんですよ。
「みんなのため」、「人のため」。
実に美しく清らかな印象を私は持ちます。
人間は一人でできることは本当に限られていることは、前回のブログでも書きました。
「みんなのため、人のため」という考えが悪いものだとは思いませんが
それが行き過ぎて、「自分が我慢してまで、みんなのため、人のため」というものは
結局、「自分を大切にしない連鎖」が生まれるようにも考えます。
この「みんなのため、人のため連鎖」の中で、
もし誰かが一人「自分のため」を始めると
「私はみんなのため、人のためにしているのに、あの人はしない」という発想が生まれます。
その発想は次に、憎しみに変わり、攻撃的になります。
「正しい行動」と思っていいたことが、
結果的に昔ながらの動物的な行動になってしまうのです。
これは人類の歴史をみれば明らかです。
もう一度、整体師、心理カウンセラーの立場から、
自分の体、自分の心、自分の命、自分の時間を大切にしていますか?
これらの自分を大切にすると、同じように他者をも大切にできる上、
テクノロジーの進化、底上げにもなります。
テクノロジーの進化は自分の得意なこと、好きなこと、楽しいこと、
止められてもやりたくてしょうがないものがスタートだと私は考えます。
自分が好きなことをやり続けるから得意になるし、上手にもなるのです。
そして、その情報は周囲に拡散されていきます。
人間は情報を伝達する生き物なので、そこに優位性が生まれてきます。
自分の得意なこと上手なことが誰かできない人のためになることを、
私は「人のためになる」と定義したいです。
こう書くと「自分には得意なことがない」とか「やりたいことがわからない」などと
考える方も少なくありません。
必ずあります。
自分の時間を自分のために使って探してみてください。
ここはカウンセラーとして私がお手伝いできるところです。
「人のため」は「誰かできない人のため」に自分の能力を活かすことであって、
決して、自分を抑圧してまで、することではありません。
それはむしろ、すべてが何もできなくなってしまう「退化」になると私は考えます。
改めて、書きます。
自分の体、自分の心、自分の命、自分の時間を大切にしていますか?
人は毎日、老化という変化を自動的にしています。
気づかないかもしれませんが、確実に1分、1秒ごとに老化しています。
この1分、1秒をどう使うかは全て、あなた自身の考えと行動から始まります。
みなさんは変化の準備できていますか?
私は自分の体、心、命、時間を大切にしています。
これが私に変化の準備をさせるものです。
全てが不確実な未来を味わうために、
人生を楽しむために、古い自分をどんどん捨てていきます。
しかし、とんかつ定食+納豆+ビールと自然が好きな事だけは
今のところ捨てるつもりはありません。