どなたかカミさんとのコミュニケーションを
うまく取る方法を教えてください、せんらくやです。
今年、私がこのブログで頻繁に書いている「多様性」。
私なりに、改めて多様性ってどういうことよ?を考えてみることにします。
コトバンクデジタル大辞泉で調べてみると、このような意味がありました。
いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。「生物の多様性を保つ」。です。
人種や性別、年齢なども「多様性」だとは思いますが
ウインドウズ、インターネット以降、その様子は激変したと思います。
世界ではもちろん、地球で唯一日本語を公用語としている日本では特にそうかもしれません。
世界ではもちろん、地球で唯一日本語を公用語としている日本では特にそうかもしれません。
今更かもしれませんが、情報が多くなったことで、
同じ情報を共有していないということが起こっています。
同じ情報を共有していないということが起こっています。
私が小学生の頃は学校へ行くと
「土曜日、ひょうきん族、観た?」
「昨日のUFOのやつ観た?」などとテレビ中心の情報の共有がありました。
ある一定の人数が別々の場所でテレビを通じて
「土曜日、ひょうきん族、観た?」
「昨日のUFOのやつ観た?」などとテレビ中心の情報の共有がありました。
ある一定の人数が別々の場所でテレビを通じて
同じ情報を共有していたという事実です。
その情報を持っているor持っていないで二分される形。
それが今度は多数、少数に分かれて、多数が強くて、少数が弱い。
そんな構図も生まれやすくなります。
(この構図でいじめなどが始まるのでいじめは情報、選択の少なさと閉塞、プラス心理的なものが要因の一つであると私は考えていますが、これはまた別の話。)
(この構図でいじめなどが始まるのでいじめは情報、選択の少なさと閉塞、プラス心理的なものが要因の一つであると私は考えていますが、これはまた別の話。)
その他にはテレビで「これ、体にいいよ!」とされたものが
翌日、店頭から消えてしまうなんていうことも起こりました。
情報が少ないことで、それが全てとなってしまい、人は行動を起こしてしまう。
情報が人の行動、経済を操作する。
想像すると怖い気もしますが、ありえないはありえない。
(この話はメディアリテラシーのことも関係してくるのでまた別の機会で・・・)
情報が人の行動、経済を操作する。
想像すると怖い気もしますが、ありえないはありえない。
(この話はメディアリテラシーのことも関係してくるのでまた別の機会で・・・)
ところが今はそのテレビ以外にも情報源、娯楽、習い事などが増えて
同じ時間に同じものを観ているという事実は減っていることが見受けられます。
そして、人間とは面白いものです。
増えれば減る、減れば増えるで
そして、人間とは面白いものです。
増えれば減る、減れば増えるで
その情報の多さを共有化させようと補っているツールが現われます。
ソーシャルネットワークサービス、Twitter、facebook、mixi、instagramなどのSNSです。
ソーシャルネットワークサービス、Twitter、facebook、mixi、instagramなどのSNSです。
そのSNSを通じて今度は趣味趣向の近いコミュニティがインターネット上に現れ、
それは世界中に繋がっています。
(私はここで得た世界の情報から掘り下げて、施術を改良したりすることもあります。)
そこでまた情報が共有化され、さらに思考、価値観が細分化されていきます。
もちろん「流行」は人の世からなくなるものではないので、
「流行りのYoutube」などといったものが拡散されて、いつでも「共有」できるようにはなったが、
それは世界中に繋がっています。
(私はここで得た世界の情報から掘り下げて、施術を改良したりすることもあります。)
そこでまた情報が共有化され、さらに思考、価値観が細分化されていきます。
もちろん「流行」は人の世からなくなるものではないので、
「流行りのYoutube」などといったものが拡散されて、いつでも「共有」できるようにはなったが、
それは任意で選択することができる。
この点は昭和の「テレビ」とは大きく異なる点だと思います。
(テレビも観ない、本を読むという選択肢もありますが、そこは現代も同じなのでここではあえて省かせていただきます。)
この点は昭和の「テレビ」とは大きく異なる点だと思います。
(テレビも観ない、本を読むという選択肢もありますが、そこは現代も同じなのでここではあえて省かせていただきます。)
趣味趣向が様々な形で存在している状態、
それによって感じ方、考え方、
価値観がいろいろある状態、
そして、それが任意で選択ができる。
これが「多様性」なんと、ちゃうのかな~と
私は考えます。
それぞれ、見聞きしているものが違うと
地球で唯一、日本語を公用語としている日本人の中でも
そもそもの人の土壌、前提が違うことが起こるのです。
(鉄道や道路が発展していない時代には「海の人」「山の人」なんていう風に分かれていたのかもしれませんが・・・)
(鉄道や道路が発展していない時代には「海の人」「山の人」なんていう風に分かれていたのかもしれませんが・・・)
この多様性。
説明として不十分とはされていますが、Wikipediaによりますと
「単にいろいろある」ということだけではないそうです。
説明として不十分とはされていますが、Wikipediaによりますと
「単にいろいろある」ということだけではないそうです。
ある集合体、会社や組織の中で
「オレ、多様性やから、ほっといてくださいよ」とか
「オレ、多様性やから、ほっといてくださいよ」とか
「多様性を受け入れて自由にやらせてくださいよ」ってのも、私はちょっと違うと思います。
そこで次に、その多様性の中でのコミュニケーションを考えてみます。
例えば、私の場合は山と整体、カウンセリング学、トレーニングというものに興味が強く、
情報をたくさん持っていて特化していると思います。
知識、趣向の多様性の一つ、又は偏向とでもいいましょうか。
情報をたくさん持っていて特化していると思います。
知識、趣向の多様性の一つ、又は偏向とでもいいましょうか。
山の専門用語、例えば「トラバースする」「谷を詰める」「一本入れる」なんて、
山仲間同士では当たり前のように理解しあっているし、使用している言葉です。
が、しかし、山をやらない人には通じません。
山仲間同士では当たり前のように理解しあっているし、使用している言葉です。
が、しかし、山をやらない人には通じません。
なので、それを伝えたい時には、相手が知らないことを念頭に置いて
丁寧に伝えなければいけません。
丁寧に伝えなければいけません。
そのように、相手が「知らない」ことを念頭に置いて「伝える」。
誤解のないように、共通の言語、理解を確認しながら「伝える」。
または、相手の言葉を丁寧に聴いて「受け取る」。
または、相手の言葉を丁寧に聴いて「受け取る」。
知らないことは「自分が知らないことを伝えて」、「聞き返す」。
こうした行動が、有益でよりよい、コミュニケーション、情報交換、情報伝達が
生まれるのではないでしょうか。
生まれるのではないでしょうか。
これは、家庭でも職場での教育の現場でも
人が人と関わる時の全て共通していることだと私は考えます。
人が人と関わる時の全て共通していることだと私は考えます。
伝わった、受け取ったが確認できて、初めて情報の共有ができたことになります。
相手も知ってるだろうから、相手も同じ気持ちだろうから
相手も同じように考えてるだろうからと
「だろう」で理解を省略して、始めるとコミュニケーションはうまくいかなくなります。
相手も同じように考えてるだろうからと
「だろう」で理解を省略して、始めるとコミュニケーションはうまくいかなくなります。
そんな「理解の多様性」「個性」を受け止めていないと
全てが自分の一つの基準、物差し、尺度で考えて伝えるので誤解が生じます。
そして、自分基準で考えるから「あいつはわかっていない、わかってもらえない」と
コミュニケーションが否定的なものに変わってしまいます。
そして、自分基準で考えるから「あいつはわかっていない、わかってもらえない」と
コミュニケーションが否定的なものに変わってしまいます。
また、多様性を受け止めず、許容、寛容できない場合は価値観を単純に二分化してしまい
インターネット上など(この国の政治でも)みられるような
是か非かのみの極論の意見、発展性のない展開が生まれます。
これは何ともつまらない、というか、もったいないな~と、私は思います。
コミュニケーションとは本来、情報交換、伝達の方法として
知識を増やしたり、成長したり、発展したり、
原始の頃なら命を守ることだったり、
人類にとってはとても有益なもののはずです。
知識を増やしたり、成長したり、発展したり、
原始の頃なら命を守ることだったり、
人類にとってはとても有益なもののはずです。
多様性に富んだいろんな知識、脳が集まると
想像もつかなかった作用が産まれることがあります。
想像もつかなかった作用が産まれることがあります。
もちろん、そこには得手不得手はあって、内向的、外交的な差もあるでしょう。
そこは性質の多様性として、その人を受け入れて
双方の最大公約のところで関わればいいのです。
何かの縁で出会った人、命です。
否定、批判しあったりせずに、
自分を主体的に捉えて
自分に無いものを取り入れたり
自分にある余計なものを捨てたりして
なんか、ええ感じで生きていくことが
自分を主体的に捉えて
自分に無いものを取り入れたり
自分にある余計なものを捨てたりして
なんか、ええ感じで生きていくことが
多様性を認め合うってことなのかな~
と、現時点での私の考えです。
と、現時点での私の考えです。
白山の南竜ヶ馬場でのテント泊で星を撮影してみました。
この一枚の写真。
誰のテントか知らんけど、ええテントやな~
この一枚の写真。
誰のテントか知らんけど、ええテントやな~