私のアメブロのプロフィール欄の「好きな男性タレント 小出恵介」ってのを
変えた方がええのかどうかを考えだすと夜も眠れません、せんらくやです。

 

先日、書いたブログ「伝え方」と「受け取り方」には

いろいろな反響がありました。ありがとうございましたm(__)m

せんらくやブログ「伝えること」

せんらくやブログ「受け取ること」

 

その後に書いた「セカンドチャンスと寛容性がストライカーを生む」にも

大きな反響をいただきました。

せんらくやブログ「セカンドチャンスと寛容性がストライカーを生む」

私のブログが読んだ方たちの何かの気づきや考えるきっかけ

議論のきっかけになって、何かええ風になってもらえるのは
私にとって最高の幸せです。ありがとうございますm(__)m


家族の間でも職場の人間関係でも、

主観、客観の伝え方、受け取り方で生まれる多くの「誤解」。

「他者の主観」「多様性」を受け入れられない「不寛容」。
しかし、そこには伝えたい「気持ち、感情」がある。

コミュニケーションとは実に難しいものです。

 

そのコミュニケーションの間違いで起こる数々の問題。

その問題の解決方法はもちろん人それぞれ、いろいろあると思います。
カウンセリングの中で核心はそのトラブルの内容よりも、その当事者たちのことが多い。
そこで今回はその当事者たちの隠された問題の一つのお話しを

「そこに愛はあるのかい?」ということをキーワードに進めてみます。

 

例えばモンスターペアレンツと呼ばれる親御さん。

子供が可哀想、危ない、行事をボイコットするなどなど

これは子供に対する「愛情行動の表れ」。

だから、そこに愛はあるからよい。

 

例えばスポーツ(部活)の監督、コーチ、先生、親。

選手に多くの知識を与え、フォーム矯正、厳しく、長く辛い練習を休みなしで課す。

勝つために根性と努力で精神力を鍛え上げる。

選手を勝たせたいという愛がそこにはあるからよい。

 

例えば夫婦、恋人の中。

一番、近くにいて大切な人だからつい厳しいことを言ってしまう。
向上してほしいが故に、時にはとてもきつい言葉を浴びせて叱咤激励をする。

そこには愛があるからよい。

 

 

 

 

・・・とは、ならないケースもあります。

 

 

 

例えば、子育てのケース。
これはそのお子さんの年齢や成長加減にもよるところですが、

どんな事態でも一先ず、その子供に「判断」を委ねる。

「判断」の材料を子供が持っていないなら提示して
「選択肢」を又は「選択肢を見つける方法」を与える。
その「判断」「選択」が誤っていたとしても「寛容性」を持って受け入れる。

問題解決の方法を育むチャンスを与える。
これがその子の「自律、自立」のための「愛」ではないだろうか。
多くのことをお膳立てしてしまうことで、

無意識に子供の潜在意識に「あなたは私がいないと何もできない。」という

ことを伝えかねないコミュニケーションを拒む12の障害を生んでいる可能性も。

せんらくやブログ「コミュニケーションを拒む12の障害」

 

例えば、スポーツ(部活)の世界のケース。

過去の自分の夢、過去の自分ができなかったこと
過去に自分がこんなことをして失敗したから、その思いをさせたくないなど
の気持ちを選手(子どもも含む)に投影させてしまう。

大人の体力レベル、上級者の体力レベルの練習内容など
その選手(子どもも含む)に適切でない負荷を課してしまい、

取り返しのつかない事態を引き起こす、

選手(子どもも含む)が競技そのものが嫌いになってしまう。

熱い指導がこんな悲劇を迎える、そんなことにもなりかねない。

 

例えば、夫婦間のケース。

これは書いている自分でもなかなか辛いところはあるが

甘えや許し、自分の理想の押し付けなども含まれている可能性もあり。

 

ここで挙げたのは、ほんの一般的な例えばのケース

もちろん、うまくいっている場合(どちらか一方ではなく、
双方がうまくいっていると認識できている状態)では
なんら問題はないケース
として受け取ってもらえればよい。

 

ここにあげた「例えばのケース」ではなにが起こっているのか?
実はこれらは全て働きかけている側の自己実現なのです。

自己実現とはいうなれば「自己が成長していく過程」のこと。

自己実現自体は悪いものではなくとても大切なもの。
「人の動機は唯一、自己実現です。」と、心理学者カール・ロジャーズは言っています。

が、問題を抱えた自分の思いを、自分よりも弱者を使って
その自己を実現しようとしている場合は
その「弱者」に問題のバトンタッチをしてしまう恐れがあります。

これがこの「例えばのケース」のうまくないところです。
 

もちろん、これらの「例えばのケース」で「こいつを使って自己実現するぞ!」

なんて、考えてやっている人はまず、いません!!
全て、意識していない、無意識の行為です。
私自身もしていましたし、今でも、たまにすることがあります。

 

そして、それが「自分も気づいていない自分」ということです。
だから、もしこれを読まれて、上記の「例えばのケース」に思い当たる節があっても
決して自分を責めたりしないでください。

こういった「自分も気づいていない自分」を発見して、
受け入れて、成長するためのツールが「カウンセリング」なのです。


自分を愛しているからこそ、他者を愛することができる。
自分を信じているからこそ、他者を信じることができる。
防災でいう自助、共助、公助というものはここが原点かもしれません。
 

究極の愛のあるコミュニケーションって「受け入れる」「認める」ことに尽きるのかな~
なんて、最近は考えています。
「他者」を受け入れる、認めるってのも、もちろんですが
その前に「自分」を受け入れているのか?自分を認めているのか?
いい自分も、ダメな自分も、できた自分も、できなかった自分も。
コミュニケーションの基である、伝える自分、受け取る自分はどうなんやろ?
「そこに愛はあるのかい?」がキーワードです。

 

実はそんな、人が自ら成長するような、コミュニケーションの取り方や、

子供や人との関わり方なんかをお伝えする、学び合える、

そんなワークショップ的な場を心理カウンセリングとは別に

立ち上げることも検討中です。
料金も、コーヒーやケーキセットくらいの料金くらいにして

いろんな気づきの輪が広がればいいかな~なんて考えています。

もし、興味があって、この曜日、こんな時間に、
こんな場所でやってほしいという方がおられれば、お気軽にメールをください。

senrakuya@gmail.com

 

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先日、滋賀県赤十字奉仕団研修会で
傾聴の目的と基本という講義をさせていただきました。
受け取りにくい、難しいこともたくさんあったと思いますが、
できる限りかみ砕いて伝えることに努めました。
うまく届いていれば幸いです。