小学生の時の愛読書は「まことちゃん」と「少年ジャンプ」と
「エルマーの冒険」でした、せんらくやです。
もうすぐ夏休みです。
夏休みの宿題で一番きらいだったのは「読書感想文」。
もうね~何を書いたらええのかよくわからんし。
自分の子供にもうまく伝えられなかった「読書感想文の書き方」が
この方のブログを読んで、なるほどな~と思いました。
ということで、今回は読書感想文にチャレンジしてみます。
「チェルノブイリの祈り」 滋賀県湖南市 谷口哲也
この本との出会いは整体のお客さんからの紹介でした。
「チェルノブイリ」・・・昔の原発事故やなぁ、くらいの知識。
もちろん悲惨な事故だったことは想像できるが「チェルノブイリ」がどこに位置しているかもよくわかっていない。
お客さんからは「これがノーベル文学賞って感じがしました!」との感想だけを受けて読み始める。
ノンフィクションというものをあまり読んだことがないので、始まりは「違和感」があった。
それは事故にあった家族の「証言」から始まったからだ。
「夫を愛していた。」そのような内容だったと思う。
それから、チェルノブイリに住んでいた村の人々、処理に当たった軍人、・・・
次々と様々な証言がそこには書かれていた。
そう、この本は全編、「普通の人々」が事故の後にどうなったか?の証言が集められたものだった。
小説とは違って説明が少ない。証言は知らない国の人たちのそのままの言葉なので
時代背景、景色、風習、文化などの詳細がみえない状態で読み進んでいく。
生まれてきた子供の奇形の様子や、事故処理に当たった人達の病院での様子、村の様子、国の対応など、「これは何なん?一体、どういうことなん?」と、にわかには信じがたい証言が多く、読んだ文字を脳内でビジュアル化できない。
その証言の一つ一つが重いので一回当たり一人か二人の証言で読書は止まってしまう。
そして夜には読めない。朝読限定の本である。
ビジュアル化できないまま読み進んでいくと後半は子供たちの証言だった。
「言葉がわかりやすい」子供たちの証言はまっすぐに心に突き刺さる。
1986年4月26日のチェルノブイリ(現ウクライナ キエフ、ポーランドの東、ベラルーシの南、モスクワから南西におよそ6~700kmに位置する)で起こった原発事故は死者およそ4000人(IAEA公式見解)負傷者不明、強制移住などの被害者数十万人以上というものであるということは読書の後にウィキペディアで調べたこと。
ネットで「チェルノブイリ」と入力すると様々な情報が画像付きで現れる。
読書中ビジュアル化できなかったものたちがビジュアル化できてしまった。
「証言通り」の出来事だった。
普通の読書のようにこの本を読んで「感動した、よかった。」などというものは一切ない。
ただ、「事実のど真ん中の一辺に触れることができた。」
そんな感想が残った。
知る必要のない事実かもしれない。
昔のソ連時代、日本から遠く離れた国で起こった原発事故、普通に生きていれば全然関係のない話だということは理解している。
それでも「知ることができた」という事実は今後、もし何かの判断、決断の材料にはなるのかもしれない。
これを機にノンフィクションも読書の選択肢に入れてみることにする。
本は人生の道しるべのようだ。
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チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)
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