「コペルニクス的転回かよ!」
このツッコミを温め続けています、せんらくやです。

 

先日、あるサッカー関係のコラムで読んだ記事。

日本にストライカーが育たない理由 ドイツの名手が指摘した「仕事への“言い訳”」

これは元サッカードイツ代表のリトバルスキーのインタビュー記事で

日本でストライカーが育たない理由の中にバランス重視の教育や風土が影響しているとみていた。というのがありました。その中で気になった文章がここ。

 

 

以下引用

「アウトサイドの選手は1対1でしっかり相手と闘わなければならない。またストライカーはパサーに対して責任を負う。そこでみんなを怒らせてはいけないと、リスクを冒すのが怖くなる。そして点が取れなくなると、その分を他のことで補おうと考えるようになるんだ。前線から守備をしたり、周りを活かそうとしたり……一番大事な仕事に対する”言い訳”を探すようになる」

以上引用

 

多少はリトバルスキーさんやライターさんの主観が入っていることも

踏まえた上で、これを読んだ時に私の無駄な思考症が発症。笑


なるほど~バランス重視の教育や風土、リスクを冒すのが怖くなる⇒
ストライカーが育たない⇒決定力不足か~。

 

決定力って判断や決断ってことか??

そういわれれば、判断、決断力を培う方法って教えてもらったことないな~

なんて考えたわけです。

 

改めて振り返ると変換のベクトルが奇妙ですが(笑)

 

日本の教育は正解か不正解かという2択になっていることが多い。

これはこれで、ある一定の知識を身につけたことを確認する評価のやり方として
は正しいとは私も思う。
しかし、社会ではそれだけではないことの方が多いのではないか・・・

おっと、話が脱線しそうだ。

これは教育論になっていくのでまた、別の機会にします。

 

この記事の中での「一番大事な仕事への言い訳を探す」という部分には

私は全面的に支持はできないので「?」がつくところですが、

「失敗したらどうしよう」そういう気持ちから判断、決断できない。

正解がわからないから判断できない。

これはよくわかるし、そんな声を聴くこともしばしばある。

判断、決断で悩んでいる人って、結構いると思います。

 

仕事においても始めは指示に従っているだけで済むものも
ある一定の役職までくると、判断が求められるようになる。

上になればなるほど、その判断、決断は重いものになってくる。

会社の社長などたくさんの社員やその家族を抱えていると思えば
その経営判断は私が考える以上の重さだろう。

 

ちなみに私も一人で仕事をやっているので誰にも聞くことができない立ち位置。

たくさんの社員やその家族を養っている重みはないけど

整体師になった直後の頃には

「この状態、この施術でいいのか?」などと本当に判断に悩むことはありました。
そこには体を任せてもらっていること、対価を得ている責任や、
「失敗したら次はない」というなんの保証もない立場での
気持ちがあったのを今でも覚えています。


判断や決断は今までの経験や知識が材料となる。(その度に集めるケースもある)

その後、その判断や決断が経験としてアップデートされて

また次のより良い判断、決断につながる。

足りなかったと感じた時は本を読んで知識を得てもいいし
その道で経験豊富な人の話を聞いてもいい。

新たな経験、練習を積み重ねてもいい。

そうして、行動を重ねていくことで判断力、決断力というものは磨かれていくものだと思う。

時には判断、決断し、エラーになることもあるかもしれないが

そのエラーも、経験なのである。

 

もし、そうした時に「セカンドチャンス」がないとしたら、

エラーが許されないとしたらどうだろうか。

それは判断力、決断力がアップデートができなくなることである。

アップデートできないことは進化、成長できないということである。

一人一人が弱い人間の中でこれはとても大きな公共財産を失うことになる。

 

そして、この「セカンドチャンス」は

周囲の人の「寛容な心」によってなされることを忘れてはいけない。

これが今回のブログで一番、伝えたかったこと。

「決断」「判断」のエラーに対して、新しい挑戦に対しての「寛容」こそが

「セカンドチャンス」を与えることなのではないか。

 

もちろん命を失うようなエラーは絶対に避けるべきだが
教育の場でも、スポーツの場でも、仕事の場でも、生活の場でも、
今の日本では大体のことで「命」を失うエラーはないだろう。

 

「セカンドチャンス」はある!
判断して、決断しよう!
行動しよう!

 

その人の現時点でのベスト、チャレンジ、そんな判断や決断を応援したい。

時間などのスケジュールの遅れ、後片付け、謝罪など

大変な迷惑を被ることはあるだろうが、「命」を失うことはないだろう。

そんな「セカンドチャンス」を与えられる「寛容力」を持つことは

まわりまわって自分を許すことになるのではないだろうか。

 

そんな思考の拡散が日本の風土に変化を与え

日本から強烈なストライカーが生まれることを望んで止まない。

 

そして、私がジョークで滑ってもセカンドチャンスをください。

 

 

ある自治体の防災キャンプのお手伝いでロープワークの講習をすることになりました。

基本のロープワークを覚えていればブルーシートでタープが簡単に設営できます。