支払日には人生サバイバル感がハンパない、ギリギリセーフサバイバーせんらくやです!

 

前回のブログ「伝えること」では心理学的テクニックも交えながらお伝えしました。

今回は「受け取ること」に焦点を絞ってみます。

 

受け取ることは「相手の言葉をしっかり聴く」、
「文字の場合ならしっかり読み解く」。ここに集約されると思います。
この「聴く」「読み解く」という動きを丁寧に行う時には

受け取る態勢を整えなければいけません。

ここが実は重要なポイント。

相手に体を向ける。

相手の目をみる。

相手に耳を傾ける。
自分の口は閉じる。

自分の考えは一旦、取り除く。(フィルターを取り除く)

こうして聴く態勢を整えるだけでも「相手の言葉に集中」できます。

そして、その伝えようとしている相手は「自分の言葉や気持ちを大切に扱ってくれる」という

深層心理が働き、もしかしたらよりあなたに丁寧に伝えてくれるかもしれません。

 

ちょっと余談、受け取りたくない時は受け取り態勢を取らないのではなく

なぜ受け取りたくないか(話を聞きたくないか)を伝えるべきで、
プイッとふくれっ面、ギッとにらまれるってのが伝える側は一番困ります。

 

話がそれました、受け取り方。

 

基本は相手の言葉をしっかり聴く、文字を読み解くということになります。

できているようでできていないのが「聴く」ことなんです。

 

主観から発せられた言葉を聞いた時に
自分の都合よく変換して理解してしまうことが誤解のはじまりです。

 

例えばあなたがAさんから「Bさんは厳しい人です」と聞いた時に
厳しい人は怒る、叱る人から転じて

「Bさんはいつも怒っている怖い人」と勝手に変換して受け取ってしまうと

それだけでBさんはあなたの好きゾーンから外れてしまって
嫌いフィルターがあなたの眼を覆ってしまい

Bさんと積極的な関係は築きにくくなってしまうということ。

 

これは極端な例かもしれませんし、
伝えるAさんの言葉足らずもありますが
似たような「印象の返還」はよくあるのではないでしょうか?

 

ではどうすればいいのか。

受け取る時にはまずAさんの言葉「厳しい人」という言葉を
しっかり復唱してみるといいでしょう。

「厳しい」(きびしい、いかめしい)という言葉は形容詞なのでこれはAさんの主観です。

Aさん以外の人は「厳しい」と思わないかもしれません。

そこであなたはAさんに「いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どうやったのか」を
尋ねる必要性が出てきます。

 

あなた:「AさんがBさんのことを厳しいと感じたのはどんなところからですか?」

Aさん:「私が車を運転していた時についうっかり信号無視をして交差点に入ろうとしたら
横に乗ってたBさんはとても大声で止まれといったのです。私は悪気はなかったのに。
本当に大きな声で怒鳴ったのでびっくりしました。Bさんは厳しい人です。」

 

これも実に極端な例ですが、まぁ、こういうことです。

 

受け取る時はそれが主観なのか客観なのかを丁寧に判断しなければいけません。

このケース、わりとAさんアカンパターンです。

いやいや、信号無視して交差点に突っ込んだら、そらぁ、Bさんも大きな声くらい出すでしょ。

それで厳しい人って、Aさん、あんた、大丈夫か?とはなりませんか?
私はなります。(これは私の主観)
ここにはAさんが車の運転中に信号無視して交差点に進入という事実があり、

それを受けてのBさんの大きな声で止まれという事実があります。

Bさんはあなたが初め思い浮かべた「いつも怒っている怖い人」ではなくなりました。

 

こうして、この言葉は「主観なのか客観なのか」を丁寧に聴くことによって

物事を正しく受け取ることができます。


受け取った後の主観はあなたのものなので、ご自由に考えていただければよろしい。

 

不確かな主観は問い直す、質問することで理解が深まり出来事を分かち合うことができます。
そこから共感する、議論になる、意見交換ができるなど、
さらに理解が深まりお互いの成長に繋がることもあります。

この事柄で共感ができなくても、議論が物別れに終わっても

そこは「多様性」として「寛容性」を持って受け止めれば最高なのですが、むずかしい(笑)

 

せんらくや心理カウンセリング的なことを加えると
伝える相手が問題を抱えていて、自分が問題を抱えていない場合、

事実を丁寧に聴いた後でその時の気持ちを聴くこと

で伝える側は「受け取ってもらえる」という気持ちになり

さらに円滑で有意義なコミュニケーションに発展していきます。

 

伝えることと受け取ることとはコミュニケーションです。

前回と今回の「伝えること」と「受け取ること」は
人と人との間のコミュニケーション問題の1つの
解決のアイディアになればと思い書きました。

 

コミュニケーションの目的は意思の疎通。
その先には協力して何かを成し遂げることや意見の交換、議論なども含まれるでしょう。

自分は何を伝えたいのか。
どう受け取ってほしいのか。
この方法でやってほしい、気持ちをわかってほしい、

ここがわからないから教えてほしい、共有したい、ただ言いたいだけなど。

そして、相手が何を伝えようとしているのか。
実務的なことなのか、感情なのか、思想なのか、

方法論なのか、または、何にもない、ただ言いたいだけなのかなど

いろいろ、本当にいろいろあります。

そして、その対象も家族、夫婦、親子、恋人、友人、仕事の関係など
いろいろあります。
最近ではその方法もSNSの発展に伴いいろいろあります。

が、結局のところ
よいコミュニケーションって余計な色眼鏡やフィルターを通すことなく
相手を尊重することから生まれるのではないでしょうか。

 

人は感情のある生き物です。

事実も主観、客観、立場や時代によっても大きく異なります。

そんな中、感情をうまくコントロール(抑えるだけでなく表すことも大事)することで

短い一度の人生を、かけがえのない人たちとの出会いを

自分自身の成長や、他者への協力、そんなことに活かすことができれば

おもしろいな~と思います。

そもそも、別々の細胞の集まった個体が、意思を通わせること自体が
奇跡的やし、すごいことなんですよね。
言うたことがそのまま伝わることが当たり前なんて、ありえへん。
こっちの思いがそのまま相手に届くなんて、ありえへん。

そんなことに気がつけば、伝える時も受け取る時も

いろいろ丁寧になるものなのかもしれません。

 

 

と、ここまで書いておきながら、なんですが

やっぱり、これを完璧に行うことは実にむずかしいです。

私自身も、「感情的になってもうたな~、うまく伝えられへんな~」と
いうことはしょっちゅうあります。

そうして、自分を見返りながら、常に軌道修正しながら過ごしていくことが

人生なんかな~とも考えています。

 

 

 

大峰山脈のヒメシャラの木