昨年度の禁酒記録を更新!
三日、アルコールを抜いてドヤ顔、せんらくやです。
〇〇をすれば、幸せになれる。
○○をすれば、楽しくなれる。
○○をすれば・・・
こういう考え方を、よく耳にします。
これと言った趣味もなく、仕事もそんなに燃えることもないが普通にこなす。
恋人、家族、友人がいても、いなくても、なんとなく、日々を過ごしている。
充実感がなく、幸福感もなく、「なんか、いいことないかな~」
「なんか、熱中できるもの、ないかな~」
「○○をすれば・・・幸せになれるかな~」なんて。
自分探しの旅、なんかもこの類なのかもしれない。
悪くはないと思う。
悪くはないと思うけど「○○すれば・・・」という思考にはどうなんやろな~って感じ。
「先生はいいね~山があるから。」
「じゃあ、山やる?連れてったろか?」
「いや~山はね~」
「どやねん!」と、いう会話もしばしば。
私の場合、休みの日に山を歩くことを、6年間続けている。
とにかく、学ぶべきことが多く、いろんな情報を集めて、時には練習して、
それを楽しんでやっている。
山に行けば、せっかくきたから晴れでも雨でも誰とどこへ行っても
あるものをあるがまま、受け止めて味わう。
充実感は半端ない。
山に限らず、他の人の他の趣味でもそうだと思う。
それでは、趣味がない人は充実できないのか?
いや、絶対にそうではない。
禅の本かなにかで読んだことがある。
テレビ、ネット、スマホ、新聞などは排除して、
一人静かなところで、一口一口、丁寧に時間をかけて
その素材や、味に集中して食事をする。とよい。
みたいなのがあったので、やってみたところ、
本当に、その日の食事は充実していて
心が満たされる「生」(せい)の充実感を十分に得る体験をしたことがある。
充実感って、もしかしたら、何かをしたから得られるとかいうものとは違うのでは?
もしかしたら、日々どれだけ、丁寧に事柄に向き合っているかということなのでは?
仕事でも、育児でも、家事でも、やることがいっぱいで、
忙しくて、時間に余裕がなかったとしても
なにかひとつ、日常の生活の中でひとつでも
丁寧に向き合うと得られるものなんとちゃうのかな?
雑に、なんとなく、慣れのままやってばかりいると、
それは「時間を経過させているだけ」なので
充実感を得ることができないのかもしれない。
そんなことを整体しながら、
お客さんと私が同時に気がついたことがおもしろかった。
なんでも、目の前のことに丁寧に向き合って過ごすことが充実感を得る方法。
特別でない、普通の暮らしの中でも、簡単にできるのかもしれない。
八丁平に行くときに出合ったチャルメルソウ。
絶滅危惧植物だと聞いた途端に気持ちがぐっと入ってしまった。
私もまだまだ色眼鏡が外せません(笑)
充実した時間を約束します!
山登りベーシック塾はまもなく締め切り!