どうしてこの国の関心ごとの中心は「芸能」なのかな?
そんなメジャーなこととは正反対に存在しています、せんらくやです音譜


鈴鹿の奥地での体験は実に貴重なものでした。
落ちれば確実に命を失うところで
2時間を過ごしてしまった先日のあの体験。

ビレイといって、太い木の根に自分に結び付けた安全帯のようなもので
常に落ちないようにするので、落ちることはないのですが
普通でない場所という意味でも緊張しました。
安全に通過するために慎重にロープを確認しながら進んでいたため
どうしても時間がかかってしまう。
補助用の30mのロープで200m移動することは簡単ではありません。
装備の使い方には何の問題もないのだが
時間が刻一刻と進むその中で感じたものは
早く家に帰りたいという気持ちと自然への畏敬の念。


大きな自然と小さな自分の圧倒的な力の差を感じる度に
その思いは強くなる一方です。

今回もそう。

結局、日没後ではあったが、ヘッドライトを装着して地形図をみながら
予定通りのコースを歩いて帰ってきたわけですが、
アスファルトを踏んだ時には、「文明が懐かしく」感じてしまいました。


帰ってきてから、この山行の計画を事前に伝えていた
山の先輩にいただいたメールの中に、
この永源寺の佐目という土地に関する話が書かれていたことで
また、その畏敬の念が強くなりました。
そこで図書館で「永源寺町史」と「鈴鹿の山と谷4」を借りてきて復習してきました。

1858年当時、かねの谷と呼ばれていたこの佐目の村。
なんでもこの地域の田畑を荒らしていた暴れ牛を
「鐘明神」と自称する「左目一つの童子」が表れ
口から火を出し石に吹き付けそれを牛に投げつけ退治したという。
それから、この地が「佐目」となったとか。
そんな伝承も残っていました。

この永源寺の地は歴史も古く弥生時代くらいからの遺跡も発掘されています。
佐目子の名、一つとっても意味があり、伝承があり、
自然との関わりの中で人が生きてきた事実。

鈴鹿の山と谷の著者、西尾寿一さんの言葉を借りるなら

「御金明神」と言い水船の池と言い何やらこの付近には、神社などといった体系化や格式ばかりにこだわる人為的な宗教などにはみられない、おおらかな見事な自然信仰の対象が無数に存在することがうれしい。人間の歴史が発展ばかりでなく、少なくとも宗教に関しては後退しているのではないかと思われる今日、このような自然物を拝見すると心が洗われるように感じられ、また古代人の素直さをうらやましくさえ思えてくるのである。
                           ~鈴鹿の山と谷4巻から

ここには宗教に関して後退しいるのでは、と書かれているが
私はここに経済至上主義に傾倒しすぎているのではということも付け加えたいです。


夜が明るくなってから、妖怪は姿を消してしまったと、水木しげるの何かで読んだ記憶があります。
さんざんその文明と経済発展の恩恵を得ながらも
文明の発展と引き換えに人が失ったものは小さくないのではとも思います。
というか、単純につまらんようになったな~って。
ネッシーがいるかも!とか、河童がいるかも!とか、おもろいでしょ?

昔、私が住んでいた家の近所に大きな池があったのですが、
そこには「巨大な生物がいる」と、思わせるに十分な雰囲気があったのを覚えています。
今は埋め立てられて宅地になってしまったけど。

伊坂幸太郎の本でなんかあったな~
「こんな田舎開発してどうするんだ?田舎は田舎で置いておけばいいのに」みたいな。
開発するなら、せめて何か痕跡を残しておくと粋やのにな~なんて考えたり。
ブラタモリなんかはその痕跡を見つけて楽しむって感じで最近よくみています。



ギリギリの稜線からみた竜ヶ岳方面



そして、何やらまた、この鈴鹿の奥地の山行で
不思議なものに魅入られてしまった気もします。
それが何かはよくわからないが
心地いいエネルギーであることは間違いないでしょう。